ヴァイオレット奇譚2

Chapter1◆「The Spring Rabbit―【3】」




 つまらない授業を聞き流しながら、守屋詩織は膝の上に広げている 携帯電話をひたすらスクロールしていた。
 授業中だけではない。休み時間、お昼、放課後。彼女は登校してから すべての時間をこうやって携帯電話と睨めっこすることでやり過ごしている。
 お喋りをするような友達はいないし、別段そうしたいとも思わない。
 投げやりになっているわけではないが、現状を打破するつもりもない。
 理由は、きっとたくさんあるのだろう。小学生のときは「しゃべり方がノロイ」という理由で クラス全員から無視されたこともある。中学生のときは「先生に気に入られているから」という理由で よくいじめられた。きっと他にもたくさんあったに違いない。
 そんな彼女をいたく心配した母親が決めたこの全寮制の高校では、「入学式におかしな追っかけが来たから」 という理由でとりあえずクラスメイトから距離を置かれている。
 誰が一番悪だとか、どれが間違っているのだとか、色々考えた時期も合ったけれど、 結局何かが変わるようなことは一度たりともなかった。むしろ、事態を悪化させることの方が多かった。
 だから彼女は一人で静かに携帯電話の画面をスクロールし続ける。
 半分を保健室登校で過ごした中学時代よりは、幾分ましだろうと半ば開き直って、わずらわしい雑音のすべてを 遮断してしまう。
 そうしていれば、そのうち周りの人間も彼女を居ないものとして扱ってくれる。
 毎日そうやって過ごしていると、まるで自分が透明人間になってしまったんじゃないかと錯覚するけれど、 そんなことはない。
 そんな素敵なことはありえない。これは現実で、詩織は生身の人間で、息を吸って吐いて生きている。 それはとても些細なことだけれど、でも決して世界と無関係ではない。しっかりと繋がっている。
 
――『消えたい』
 
 偽らざる本音を、一切飾らずに打ってみた。
 それを、彼女の見ている小規模な掲示板に送信して書き込めば、わらわらと賛同者が 現れる。やがていつの間にか芽生えた奇妙な仲間意識で慰めあい、皆で最善の策を考える。
 詩織はほんの少し笑みを浮かべた。
 どこの誰とも知らぬ彼らが、真昼間から必死に『楽な死に方』についてああでもないこうでもないと 話し合いを始める。
 自殺志願者の集まるコミュニティなのだから当然だけれど、「やっぱり違う」と 自嘲気味に詩織は苦笑したのだ。彼女は彼らより貪欲で、だからこそ彼らの真っ当さに笑った。
 詩織が求めているのは、もっと貪欲で、そしてシンプルな願い。



******



「やっぱりいじめられてるんだと思う」
 小さな机を囲んでお昼ご飯を食べている最中、前触れもなく 漏らされた万莉亜の言葉に蛍は「またか」という顔をして菓子パンを頬張った。
 しかし同じクラスメイトである千歳は神妙そうな面持ちで万莉亜の言葉に頷く。
 最近の万莉亜のブームは、もっぱら新入生の美少女だ。
 その彼女がいじめられていることを、万莉亜はことあるごとに口にする。
 万莉亜が必要以上に詩織を気にするのは、彼女がマグナの素質を持っているからに違いない。
 口には出さないが蛍も千歳もそう考えている。くだらないオカルト話が大嫌いな蛍でさえ、 内心ではそう確信している。きっと、無視は出来ない存在なのだろう。
「でもそれでどうするの。先輩の万莉亜が友達になってあげるわけ? 余計いじめられそう」
 答えの出ない問いかけを散々浴びせられたせいで苛立っていた蛍が冷たく言い放てば、 困ったように万莉亜が俯く。そうなると、見守っていた千歳が慌てて二人をフォローする。
 まったく良く出来たクラス分けだったなと、蛍は内心苦笑した。
 答えの存在しない不毛な話し合いは、非科学的なオカルト話の次に嫌いだ。
 それなのに、最近の万莉亜はよくこういった悩みを持ち込んでくる。否、 この二種類の問題ばかり持ち込んでくる。
「それに、ほら、寮のことも、もしかしたらいじめが原因かもしれないよね」
 苦し紛れに出した千歳の言葉に、頬杖をついていた蛍が「もうたくさん」と言わんばかりにため息を零したが、 一方の万莉亜は、はっとしたような表情で顔を上げた。
 新学期が始まって一週間が過ぎたが、詩織が点呼の時間に寮の部屋に居たことは まだ一度もない。ルームメイトと不仲という訳でもなさそうだが、対応から察するに、あまり親しそうにも思えない。
 寮長の万莉亜にとって、これもまた、無視できない問題の一つだった。
「いじめのことはとりあえず置いといて、門限のことは解決したほういいよね。 だって怒られるのは万莉亜なんだから」
「……う、うん」
 覇気のない返事をする万莉亜に思わず蛍が口を挟む。
「もっとしっかりしなよ。羽沢先輩を少しは見習わないと」
 ぎょっと目を見開いた相手を見てしまったと思わないでもないが、 間違ったことは言ってないと蛍はその言葉を訂正しなかった。
 羽沢先輩の名前は、万莉亜にとってちょっとしたタブーになりつつある。
――まったく……
 めんどくさいったらありゃしない。
 昔はもっと、シンプルなルームメイトだった気がする。
 万莉亜の問題はいつも二人で解決してきた。蛍が助言すれば万莉亜は素直に頷き、実際 その通りに行動して事態を乗り切ってきた。解決しないこともあったが、とにかく万莉亜は蛍の 発言をとても重んじていた。
 最近は、どうもそうでないことが多い。
 一番の要因は、自分が新校舎五階の面々を受け入れていないせいだろうか。
 「そうだね。とりあえず……門限のことは、ちゃんと言わないと。ていうか、……言う」
 頼りない声色で万莉亜が決意表明したところで、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。



*****



 詩織がいじめられていることに気がついたのは、彼女に出会ってすぐのことだった。
 寮長である万莉亜が、ルールを守らない新入生のおかげで寮監である教師にさんざん お小言を食らい、仕方がないと一人一人注意をしにクラスまで足を運んだ際、教室で一人 携帯電話と睨めっこしている詩織を見かけた。
 メール中かなと気を利かせて詩織が顔をあげるのを教室の入り口からじっと待っていると、 ついに休み時間が終わってしまった。
 あきらめて一旦教室へ戻ったものの、次の時間も、また次の時間も、詩織は一人で携帯電話を 睨めっこをしていた。そのうち、彼女がクラスメイトと一度も声を交わさないことに気づき、なんだか呼び出しづらくなってしまって 今に至る。
 彼女のクラスメイトは、まるで透明人間のようにして詩織の存在を無視している。
 寂しくはないのだろうかと考えて、寂しくないわけがないと思い直す。ただ、どうしていいものかが分からない。 同級生でもない自分に、口を挟む権利はないのかもしれない。
 いつもそこまで考えて、行き詰る。
 ただこの問題を、新校舎へ持ち込むことは気が引けた。
 なぜなら、あそこの住人もまた、詩織の存在を無視しているからだ。おそらくは 万莉亜を気遣ってのことだろうが、新たなるマグナの存在だというにも関わらず、いっそ清清しいほど 誰もそのことに触れない。だからつい何度も同じ問いかけをクラスメイトである蛍や千歳に 投げかけてしまうのだが、いい加減しつこいのかも知れない。蛍に呆れられるのも時間の問題だ。
 蛍や千歳の言うとおり、どうしようも出来ないのだから放っておくしかない。
 自分がすべきことは、厳しく彼女に門限の注意を促すことだけなのだが。
 本音は、追い討ちをかけるようで嫌だった。
 詩織に、これ以上学園生活で息苦しい思いをさせたくはない。
 なぜ自分がこんな風に感じてしまうのか、万莉亜自身、よく分からないが、とにかく彼女には 周りが呆れるほどに慎重になってしまう。
 
「……えーと、今日も?」
 一年生最後の部屋で、今日もため息混じりに問えば、守屋詩織のルームメイトは事も無げに頷いてみせる。
 クラスまで出向き一人一人門限について注意したおかげで、少しずつ状況は改善されつつあるものの、相変わらず 一年生のチェックシートは惨憺たるもので、詩織にいたっては見事に不在続きである。最近ではそれが 当たり前になりつつあるが、もちろん、このままで良いわけではない。万莉亜の代で門限をお飾りにするわけにはいかないのだ。
「あのー……もし良かったら守屋さんに伝言をお願いできるかな」
 珍しく食い下がってきた寮長に一瞬戸惑った後、ルームメイトの少女が頷く。
「時間があるときに、私の部屋まで来てほしいんだけど。いつでもいいからって」
「いいですけど……無駄だと思いますよ」
 意外な言葉に万莉亜が首をかしげる。
「私だって、注意したことあるけど。いつもいつも先輩にため息つかれるの嫌だし、 たまには門限守ってよって言ったんです。そしたら明日は守るって約束してくれて」
「……それで?」
「でも平気で破るんです。そんな約束なんて無かった、みたいにして。だから頭きて、もう言うのやめたんです。 他にも、色々。あの子約束を平気で破るからあんまり好きじゃなくて」
「…………」
「私の話なんていつも真剣に聞いてないって言うか、話半分ていうか。今はもうほとんど会話もないし」
「……そうなんだ」
「だから無駄ですよ。一応伝えときますけど」
「うん。ありがとう」
 そう言って、首をかしげながら一年生のフロアを後にする。
――約束を破る……?
 とてもそんな風には見えなかった。
 人当たりが良くて、優しい子だという印象が強かったのだが。
――……何か、あるのかな
 やむにやまれぬ事情があるのかも知れない。
 夜、寮を不在にしなければならない理由。しかし、一体どんな理由があるというのだろう。
――「……綺麗だなぁと思って、ずっと見てたんです。そしたらこんな時間に。ごめんなさい」
 あの夜、そう言った詩織の姿が浮かぶ。
 月夜の散歩は、果たしてやむにやまれぬ事情に該当するだろうか。



******



「おい、万莉亜」
 そう声をかけて、瑛士は思わず「ひっ」と息を呑み口を塞ぐ。
 このままではクレアかルイスかはたまたハンリエットか、意外な所でシリルか、そのどれかに 罰として四肢を解体されかねないと焦った少年が慌てて来た道を引き返す。
 つまり、下りかけた螺旋階段を二段飛ばしで上り、五階の理事長室へ逃げ込んだ。
「……何やってんの」
 今しがたその扉から出て行った少年がものの数秒で引き返してきたことに、 部屋の主が怪訝な表情を見せる。
「わ、……忘れ物……した」
 青い顔でドアの前に立っている瑛士が、どうにかそう返すと、クレアはますます眉間にしわを寄せて 相手をにらむ。
「何を」
「……銃……とか」
「いらないだろ」
「いるだろ!」
「……馬鹿じゃないんだから、分かるだろ。そういう場面になったら、大人しく殺されるべきだし……て、 言わなくても分かれよ」
 いやはや至極もっともだと内心頷きながら、しかし言い訳した手前あっさり引くわけにはいかず、 瑛士はポーズとして身の安全のために銃をくれとボスにすがったあと、あっさりと部屋を追い出される。
 彼がこれから向かう場所では、彼は至極平凡な一般人であらなければならない。そのためにわざわざ そこらの学校の学生証を偽造して、バイオレットの瞳には真っ黒なカラーコンタクトを装着している。 苦肉の策な上にその場しのぎにしかならないが、それでも、無いよりはましだろう。
 銃など携帯してすべてを台無しにするなというクレアの正論にごねてみせたのはもちろん本意ではない。 だがまぁとりあえず、ピンチを乗り切ることには成功した。
 今度は横着せずに新校舎四階へと続く正規の螺旋階段を下る。
――あーびっくりした
 よりにもよって、守屋詩織に見られてしまった。



 螺旋階段を見上げながら、詩織は先ほどの出来事を頭の中で整理していた。
 天辺にあるあの扉から、男の子が出てきたときは思わず言葉を失ったが、 彼の言葉と態度に余計混乱させられた。
 そもそも、なぜこの女子学園に男の子がいるのか。
 彼は確かに「マリア」と詩織を呼んだ。誰かと間違えたのかもしれない。 それに気づくや否や、彼は物凄いスピードで来た道を引き返し、扉の向こうへ逃げ込んだ。
――マリア……?
 詩織が知る中では、そんな名前の生徒や教師はいない。
 そもそも、クラスメイトの名前すらろくに覚えていない彼女だから仕方が無いのかもしれないが、 一体誰と間違えたのだろうか。少年は、とても驚いている様子だった。
――あそこ……人がいたんだ……
 てっきり、新校舎の五階は封鎖されているものと思っていた。
 なぜなら、通じる道が校舎裏手のこの螺旋階段しか存在しないからだ。
 使われていないフロアだと思っていた。だから校舎内には階段がないのだと。でも人がいた。それも、男の子。
――好奇心は……
 猫をも殺す。
 ふと頭に浮かんだ戒めの諺は、しかし詩織を引き止めるまでには至らず、彼女は一歩踏み出す。

「守屋さん!」
 彼女の右足が螺旋階段の一段目にかかったところで、突然後方から声が飛ぶ。
 驚いて振り返った詩織の後ろには、息を切らせた寮長の姿があった。
「……先輩」
「何してるの……?」
「あ、あの……」
 どう言い訳しようかと俯く詩織に万莉亜は近づき、少しためらいがちに彼女の手を引いた。 詩織の足が、螺旋階段から外される。
「実は……守屋さんに話があるの」
「……はい」
「門限のことなんだけど」
 予想していたのか、言葉の途中で詩織がこくりと頷いた。
「……ちゃんと、守ってほしいの。十時以降は部屋から出ないって」
 以前ここで出会ったときは、もっと柔らかい人で、寮長でありながら詩織の門限破りを 責めまいと気を使っていた彼女だったはずだが、今夜は随分厳しい口調だったので、少し面食らった詩織が 申し訳なさそうに頷く。
 いい加減頭にきたのかなぁとぼんやり考えながら、「お願いね」と念を押す万莉亜にこくこくと 何度も頷く。やがて満足したらしい彼女が「帰ろうか」と詩織を促すので、それに従って新校舎を後にする。 また明日の夜、こっそり抜け出して確認すればいいやと考えながら、微笑む万莉亜に笑顔を返した。



PREV     TOP    NEXT


Copyright (C) 2008 kazumi All Rights Reserved.