ヴァイオレット奇譚2

Chapter5◆「彷徨う恋の代償―【5】」




 あなたが支払う、その罪の代償。
 私が抱えていくものは、その罰と永遠の傷痕。



******



「わ、私は……。ッ……!?」
 怯えた声は、突然の痛みに遮られる。
 二つに束ねた髪の毛の片方を、いきなり乱暴に引かれ、排水溝にかざした腕を捻り上げられる。 一体何が起きたのか、全く理解出来ないうちに詩織は背中を強く蹴り上げられた。

「邪魔よ」
 地面に叩きつけられたのと同時に、背後からそんな女の声が聞こえた。
 痛みを感じながら、鈍い動作で詩織が振り返ると、その女はすでに視線を詩織から 地面にまき散らされたヒューゴに向けている。
 ブルネットの、スレンダーな女性だ。猫のように大きな瞳が、夜の闇にきらめく。
――……ヴェラ……!?
 見覚えがあった。
 以前、クレアの知り合いとして紹介された、第四世代の女性だ。

「こんばんは皆様。学園を張っていたかいがあったわ」
「……ヴェラ、それを寄越すんだ」
 挨拶には応じず、クレアはヴェラが詩織からもぎ取ったヒューゴの指先を一心に見据えて言う。
 彼女は交流のある第四世代だ。気心が知れていないわけではないが、それでもヒューゴの肉親だ。 この場においては詩織よりも危険な存在になり得る。
「……私の大切な兄に何をするつもりなの」
「見てわかるだろ」
「…………」
「ヴェラ」

 まさか、と息を呑んでいた瑛士が身構える。
 が、その場にいた全員の予想に反して、ヴェラは握った肉片の端を愛らしく尖った犬歯で 噛みきる。そしてそのまま口の中に放り込んでしまった。
 人の肉を喰らうのは初めてなのだろうか。
 彼女は顔を歪め、嗚咽を堪えながら必死に租借し、それをのどに流し込んだ。
「……ヴェラ、一体何を……」
「こんなにまずいって知らなかった。自信なくなってきたわ」
「…………」
「クレア、手伝ってよ」
 そう言った彼女の頬に、一筋の涙がこぼれ落ちる。
 ほんの数秒、そんな彼女と見つめ合っていたクレアが、瑛士に向かって振り返り、目配せで指示すると、 瑛士はしっかりと頷いて地面に呆然と倒れ込んでいる詩織をその場から連れ出した。
 二人の影が見えなくなると、ヴェラは散らばったヒューゴの前に膝をつき、兄と対面する。

「……どういうつもりだ……ヴェラ。俺を、裏切るのか」
「ヒューゴ……私ね」
「裏切るのかヴェラッ!」
 激高したヒューゴの声が辺りに響く。
 けれどヴェラはその声に耳を貸さず、少しずつ小さな欠片から口に運び始めた。
「私、ずっとクレアにお願いしていたの。馬鹿な兄だけど、命は奪わないでって。 たった一人の、兄だからって。私お願いしていたのよ」
「……」
「でも不思議なの。今こうして、死にゆくお兄ちゃんを前にしても、心は痛まない。 私はきっと、自分のためにクレアに懇願したんだわ。自分の心のために」
「何を、言っている」
「憎いあなたを恨んだままでは、私は一歩も前へ進めない。 分かっているのに、お兄ちゃんが憎い。憎くて憎くて、気がどうにかなってしまいそうよ。 私はただの女だった。でもそれで幸せだった。それを、私に断りもなく勝手にこんな化け物に仕立て上げ、 あげく興味本位だったと言ってのけるあなたが、殺しても殺し足りないくらい憎い」
「貴様……初めから俺を……裏切るつもりでっ……!!」
「でも許したかった! そうしないと、私は救われない。でも恨みが消えないの。 毎夜夢の中で何度もお兄ちゃんを殺してる。逃れられない、私の願望だもの」
「…………」
「だから、お兄ちゃんは、私をこんなに苦しめたその代償を支払わなくちゃいけない。 そして私は、兄を喰らって、身も心も晴れて化け物になる。でもそれでいい。地獄へ堕ちる覚悟は とっくに出来てるもの。……お兄ちゃんを道連れにしてね」
「や、やめろ……! ヴェラッ! やめろッ!!」
「クレア、手伝って」
 静観していたクレアが、黙ってヴェラの横に膝をつく。
 頬に滝のような涙を流しながら兄の肉片を喰らう彼女の痛ましさに、かける言葉も見つからない。
 ヴェラの心に存在する深い闇。
 普段あっけらかんと日々を過ごす彼女の、積年の恨み。
 逃れられない呪縛から、解放してやれるのなら。
 そんはずもない、そんなに簡単ではないのだと、どこかで悲観視ながら、それでもクレアは、かつて彼女の兄で あったその肉塊に手を伸ばす。



******



――「たったの一言で良かったの

私はね、たった一言、私の顔を見て、すまなかったって、後悔しているって謝ってくれたら、 それで許せたような気がするの。
でも、お兄ちゃんはそうしなかった。彼は、いつだってアンジェリアしか見えていなかった。 だからあの女が、本当は忌々しかった。心酔している兄が、憎かった。
ねぇ、これって、嫉妬かな。私、ブラコンだったのかな。
今更、どうだっていいよね。
だって最後に残ったのは、憎しみだけなんだもの。
ねぇクレア。私もやっぱり、復讐の第四世代だったのかな。
ねぇクレア。どうして恨みは、いつまで経っても消えないのかな。
ねぇクレア。時々、心が凍ってしまっているような気がするの。
時間が、全てを解決するなんて、嘘っぱちよね。
だって私たちには、時間なんて流れていないんだもの。
止まってしまったあの日のまま。心もずっと、あの日のまま。
でもねクレア。そうじゃないって、信じたかったの

だってそれって、死んでいるのとどう違うの?」



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