ヴァイオレット奇譚2

Chapter6◆「永遠の傷痕―【8】」




 少し悪びれた風の、不良少年と言ったところだろうか。
 どこにでもいそうな彼の風貌を見て、春川は冷静に記憶を巡らせた。

「君は確か……クレア・ランスキーの……」
 従者の少年。
 気付いて、春川は一瞬対応に戸惑った。彼は自分に敵意を向けている。 それは以前、彼の友人を巡ってスタッフが面倒を起こしてくれたせいだ。
 あの時の教団にはまだヒューゴというトップが存在していたから、彼やその裏にいるクレア・ランスキーに それほどの重要性は見いだせなかったが、ヒューゴ亡き今、目の前の少年はクローゼットの中の万莉亜同等の価値がある。
「戸塚……瑛士君だったね」
 恐るべき記憶力で、かつてチラリと目を通した名簿の名前を読み上げる。
 少年は小さく頷いて、胸元から小さな銃を取り出し、春川に向けた。
「……恭士郎の仇、とってやりてぇけど、殺人犯になるのはごめんだからな。 とりあえずこの教団は今日限りで解散だ。万莉亜に手ぇ出さなきゃ、お前らの悪巧みも見逃しててやったのに」
「悪巧み? ……瑛士くん、それは大きな誤解だ。我が教団の目的はただ一つ。絶滅状態に陥っている不死者の保護とその繁栄。 そして、その希有な存在としての価値をこの世に知らしめたいだけだ」
「知らしめてどうするんだよ。人である事を捨てたのに、人に認めて貰いたいのか? お前らより優れた生き物なんだぞって、 知らしめてその先には何があるんだよ。結局、人の上に立ちたいだけじゃねーか。悪いけど、付き合ってらんねぇよ。俺も万莉亜も、クレアもな」
「……」
「あんたは始末させて貰う。万莉亜を守るためだ。悪く思うなよ」
「……君が、私を?」
 穏やかな笑みを浮かべていた春川が、少年を嘲笑う。
「君は分かっていない。特異な力を持たぬ第四世代が、私をどう始末するというのか。腕力ですら、君は私には劣る」
「……なっ」
「さらに言わせて貰えば、私にも優秀な部下がいる」
 春川が向けた視線を追うようにして振り返れば、瑛士の背後で、同じように銃を構えていた 黒服の男性がにやりと笑う。
「お前は……!」
 以前、恭士郎を葬った榊(さかき)という教団の一員だ。
 なりふり構わず飛びかかりたくなるほどの衝動をぐっと堪え、瑛士は憎々しげに相手を睨み上げた。

「さぁ、形勢逆転だ。しかし困った事に、私は君たちとは友好的な関係を築きたいと願っている。 君やここにいる彼女を傷つけることは、出来れば避けたいんだよ」
「……俺たちに媚びを売ったところで、クレアはお前の言いなりにはならないよ」
「言いなりになって欲しいわけじゃない。欲しいのは指導者だ」
「同じ事、……っ!?」
 
 言葉の途中で、瑛士の耳に劈くような女の悲鳴が届く。
 しわがれた、甲高い声だ。驚いて思わず声の方向に目をやった瑛士と同じように、 春川と榊も部屋の外に顔を向けた。
「……五條さん?」
 ぽつりと春川が呟いたその数秒後、荒い靴音が物凄いスピードでこちらに近寄ってくるのを知り、 咄嗟に榊が銃口をそちらに向ける。
 素早く彼から距離を取ろうとした瑛士を、今度は春川が体当たりで取り押さえた。
 が、その僅か一瞬の後に、春川の視界にはどういう訳か床に横たわっている榊の姿が映り、 何事だと混乱する間もなく、頭部に激しい衝撃を受けて彼はのし掛かっていた瑛士の上から 部屋の中央まで体ごと吹き飛ばされる。
 背中を積み上げた家具に強打しながら、どうにか目を開いて入り口を確認すると、新たにやってきた 金髪の青年が瑛士の首根っこを掴んでいるのが見えた。

「時間がない」
 青年は早口でそれだけ言うと、首を掴んで立たせた瑛士から、視線を横たわる榊に移す。
「彼は?」
「ここの仲間だよ。一応人間だけど、こいつも万莉亜の事を知ったかもしれない」
 瑛士の説明を聞いて、彼は床に膝をつくと、横たわる榊の耳元で何か言葉を囁き、 素早く立ち上がる。それから今度こそ、そのバイオレットの瞳を春川に向けた。
「あれは?」
「ボスの春川。例の第五世代……」
 瑛士の言葉を最後まで聞かずに青年は春川にツカツカと歩み寄る。
 一分一秒でも惜しいと言った彼の歩き方に、春川は必死に言葉を探った。 最悪のタイミングではあるが、待ちに待った第三世代だ。意地でも言葉に耳を傾けて貰う必要がある。
「……クレア・ランスキー。お会い出来て光栄です、と言いたいところですが……私は、殺されるのですね?」
「そんな時間はない。悪いけど、大人しく拘束されて欲しい」
「……分かりました」
「悪いね」
 抵抗を見せない春川の足首をもう片方の膝の上に固定し、躊躇いなく力を込めて拳を振り下ろす。 それを数回ほど繰り返し、春川の一瞬のうめきと共に鈍い音が聞こえると、彼は迅速にもう片方の足首も力任せにへし折った。
「瑛士。彼を拘束しろ」
「え、な、何もねぇよ」
 指示され戸惑う少年に、痛みに呻いていた春川が息も絶え絶えに部屋の奥にあるロッカーを指さし告げる。
「……こ、工具箱の奥に、プラスチックチェーンが……、っ……」
 半信半疑で言われた場所を探る瑛士が、彼の言うとおりプラスチックチェーンを見つけだし、 それを使って春川の大きな体を拘束し始める。
 それを尻目に、クレアは中から強い力で反発する開かずのクローゼットと格闘していた。
 鍵はかかっていない。そもそも、このクローゼットに鍵はない。
「万莉亜」
 必死になって開けようと戸を引くクレアを、そうはさせまいと少女がありったけの力を込めて抵抗する。 一体彼女のどこにそんな力があったのか、首を傾げたくなるほどの強固な力。
「万莉亜、僕だよ。大丈夫だから、ここを開けて」
 びくともしない扉を、こじ開けるのは容易だったが、やはりそれは躊躇ってしまう。
 多分、追い詰められたようなその息づかいが、今彼女がどれほどの恐怖と戦っているのかを、痛々しいほどに物語っていたせいだ。



******



 軽快なメロディが、やがてただの雑音へと変わる。
――「隠れなさい、まりあ」
 誰かが言った。
 従うべきじゃなかったのに、もう、全ては手遅れだ。

 じきに恐ろしい怪物がこの戸を開けてしまう。父と母を喰らい、なおも飽きたらず、自分を喰らいに来る。 この絶望と恐怖を、あと何回味わえば解放されるのだろう。
 息を殺して、じっとやり過ごすこの恐ろしさを、あと何回味わえば。
――「隠れなさい、まりあ」
 何度も、何度も、何度も夢に見る。
 でも本当は知っている。これは、かつての現実。心を壊さないために、殺したいつかの記憶。

 本当は怖い。
 本当は憎い。
 
 本当はまだ、この不条理な世界を、許せてなんかいない。
 
『万莉亜、万莉亜聞こえてるの!? ねぇってば!!』
 蛍の大きな声に、はたと我に返る。
 いつの間にか、鞄から取り出した携帯電話を、しっかりと耳に当てている自分がいた。
 そうだ。先ほどの耳にうるさいメロディは、携帯の着信音だった。あんまりうるさいから、 手を伸ばした。もう片方の手で、しっかりと戸を押さえつけながら、通話ボタンを押した。 そんな、ぼんやりとした記憶がよみがえる。
「……蛍?」
『万莉亜!? 何で何も言わないのっ!』
 そんなに呆けていたのだろうか。
「ごめんね。でも今……」
 とても忙しい。扉一枚挟んだ向こうに、自分を喰らおうとする化け物がいる。
『万莉亜。たった今病院から電話があったの』
「蛍、今ね」
『万莉亜』
「でもね」
『お祖母ちゃん、お亡くなりになったって』



 本当はまだ、この不条理な世界を、許せてなんかいない。



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