ヴァイオレット奇譚2

Chapter8◆「花葬―【2】」




 夢の中で、女が泣いている。
 輪郭がぼやけて、よく見えない。

――「これでずっと一緒」

 女が、強く自分の腕を引いている。
 震える指先に込められた力が悲しくて、もうどうしたらいいのか分からない。

――「私が、逃がしてあげる」

 別の方向から聞こえてきた女の声と共に、片方の腕を掴んでいた手が離れる。
 そこで初めて、そちらからも引かれていた事を知った。

「……え」
――「私が、逃がしてあげるから」

 もう大丈夫。そう言って彼女が笑う。
「待っ……」
 伸ばした腕の先にもう感触はない。一瞬で、消えてしまった誰かのシルエット。
 やがて視界が暗転し、目の前には二人の男女が並んでいる。

『愛って、大抵歪んでて、すごく自分勝手なものだよ』
 男が言う。あれは、誰だろう。とても、自分によく似た男だ。
 その隣で、男の言葉を聞いた少女が、不満げに呟く。
『……そう、でしょうか』
『君は、多分手を放すんだろうね』
『…………』
『僕は、放さない。誰かに取られるくらいなら、それが壊れたって構わないよ』

 少女が、俯く。

 違うんだ。違う。
 君に、手を離して欲しくない。離して欲しくなかった。離さないと、言って欲しかった。
 だからあの時の、君のその優しさが

 あんなに忌々しかった。



******



「……レア、クレア」
 そんな呼びかけとともに体を揺すられて、ゆっくりとまぶたを持ち上げる。
 生温い風が頬に流れて、気持ちが悪い。
「クレア、寝てるの?」
 クレアが視線をあげると、赤い目のシリルが不安げな顔で彼を覗き込み、そう尋ねてきた。慌てて だらしなく壁にもたれかかっていた上半身をきちんと起こし、顔にかかる前髪をかき上げる。
「……シリル?」
「うん」
「僕、寝てた?」
「うん」
 あっさりと頷いた少女にまた驚いて、こんな場所で寝入ってしまった自分を叱咤しつつ立ち上がる。
「クレア、何で学校にいるの?」
「お前こそなんでここにいるんだよ」
「……クレア帰ってこないから、ルイスと迎えに来た」
――ルイスも来てるのか……
 そのことを少し億劫に感じながら、クレアは校舎内の長い廊下を静かに歩く。時折壁に手をついては 目を閉じてセロの気配を探ってみるけれど、やはり彼は上手に雲隠れしたまま出てくるつもりはないらしい。 だがそんな彼の行動が、クレアの疑問を確信へと変えてくれた。
――どうして……どうして万莉亜を……
 不安と怒りで、無意識に握っていた拳に熱がこもる。
 しかし、それを見ていたシリルの視線に気付くと、彼は誤魔化すようにその手を持ち上げて 手首にはめられた腕時計を確認した。
 時刻は深夜一時。

 これで万莉亜が消えてから、もう三日が経つ。
 方々手を尽くして探した。この学園は、それこそしらみつぶしに。でも、万莉亜はどこにもいなかった。 なぜ消えたのか、誰の仕業なのか、それら全てが曖昧なままでは、探そうにも限界がある。

「……万莉亜……」
 呟いて、無駄だと分かっていても呼びかける。
 不安は募る一方だ。
 当てもなく探していたのはアンジェリアも同じだというのに、それでも、見つけ出す自信があったのに、 万莉亜に関しては気を抜くと絶望してしまいそうだ。
 こんなにも当てにならない自分が歯がゆくて、彼女と自分を繋ぐ絆の薄さが悲しい。
 血でも肉でもない。ただ、危なげな恋心だけで繋がっていた。 それもこの手で断ってしまった今、自分と彼女を繋ぐものなど何もないような気さえしてくる。

「……クレア……誰かいる」
 校舎の窓から中庭を見下ろしていたシリルが少し驚いたような声色で知らせ、クレアは 手を当てていた壁から離れ、彼女の隣に立つ。
 時刻が時刻だったので半信半疑だったが、確かに寝間着姿の女性がフラリと佇む姿が見えた。 一瞬音を立てた心臓は、すぐさま彼女の正体を見極めて冷静さを取り戻す。

「蛍だ!」
 クレアが言うより先に、そう叫んだシリルが階段めがけて駆けていく。慌ててその後を追おうとした彼が 一歩踏み出した途端、クレアは激しいめまいに襲われてその場に膝をついた。少女はそれに気付かず走り去っていく。
「……?」
――なんで……
 驚いて床についた手を見つめている内に、先ほどシリルに起こされるまで、寝入った記憶が全くないことに気付いた。
 この廊下を、ただ歩いているはずだった。休むつもりもなかった。
――倒れた……のか?
 そんな馬鹿なと否定してクレアが立ち上がる。
 ろくな睡眠も取らずに万莉亜を捜し続けて三日。それでも、倒れるほどじゃない。
――気のせいだ……
 結局クレアはふと浮かんだ疑問を捨ててそのままシリルの後を追った。



******



 花壇の花に埋もれた小さな緑色の芽を、傷つけないように指先で撫でて、蛍が唇を噛みしめる。
 どうしてだろう。なぜこんなに気になるのだろう。訳も分からぬ焦燥に駆られて、 見に来てしまったが、こんな小さな芽が、一体何だというのだろう。
――私、どうしちゃったんだろう……

「駒井蛍さん?」
「……きゃっ」

 突然暗がりの中名前を呼ばれ、蛍が小さな悲鳴を上げる。
 急いで振り返った先で、金髪の男性が笑みを浮かべていた。恐怖を感じるのと同時に、 彼の整った顔立ちに目を奪われる。そして、一瞬のデジャブ。
――……誰だろう。外人の知り合いなんていないよね
 怯える一方でそんなことを考える。なぜ彼の姿に見覚えがあるのか、全く思い出せない。

「驚かせてすみません。僕はこの学園の理事長です」
 流暢な日本語で、冗談みたいな事を言う。
 思わず睨み付けて、蛍は彼から一歩後退した。

「ここで何を?」
「別に……花壇を見に来ただけです。いいでしょ別に。私ここの生徒なんだから」
「もちろん」
 万莉亜に関する記憶と共に、蛍の中に残る自分の記憶も消したはずなのに、相変わらず喧嘩腰なんだなと クレアが内心苦笑する。
「こんな夜更けに? 女の子が一人で出歩く時間じゃないよ」
「そうですね。どんな変質者が潜んでいるか分からないし、……もう帰ります」
 そう言った彼女が、ちらりと落とした視線の先をクレアも追う。
 華やかに咲き誇る花たちに押しやられるようにして、小さな芽が窮屈そうに存在を主張する。
 小さすぎて、見過ごしていた。
「……っ」
 はっと気付いたクレアがすぐさま花壇の前に膝をついてじっと目を凝らす。
 咲き誇る花たちの色の一つも挙げられないくせに、その小さな芽だけは、 鮮やかな緑がこの目にはっきりと映りこんだ。

「……見える」
「え?」
 呟いてその芽に手を伸ばす青年を、蛍も訝しげに覗き込んだ。
「蛍、これは……何?」
「……知りませんよ。ていうかいきなり名前で」
「ほんとに? だって君、これを確かめに来たんだろ?」
「…………」

 見透かされ思わず俯いた少女が、「だって」と呟きながらパジャマの裾を握る。

「よく分からないけど……私、それを大事にしないといけないの」
「……」
「だから、それに触らないで」
「……分かった」

 そう言って、クレアが手を引くと蛍は安堵したように息を吐き、次の瞬間、 声もなくゆっくりと膝から地面へ崩れ落ちる。

「ありがとう。蛍」

 それをしっかりと抱きとめて、クレアは隣でじっと口を噤んでいたシリルに彼女を預けた。
「眠ってもらっただけだよ」
「そっか」
 不安そうな顔を見せていたシリルが、表情を緩めて自分より大きな蛍を必死に抱え込み、 小さな手の平で彼女の頭を不器用に撫でつけた。
 その脇で、クレアは花壇を見下ろし、おもむろにその土の表面に手を当てる。
 それから、手の平で握った拳一つ分の土を掻き出した。
 素手を土の中に突っ込み、花ごと土を掻き出し始めた父親を、少女が ポカンと口を開け眺める。

「……クレア、何してるの?」
「土を掘ってるんだよ」
「シリルもやる!」
 はしゃいで両手を上げた瞬間、抱えていた蛍が地面に落ちて頭を打つ。 それに一瞬慌てたものの、すぐさまぶつけた箇所をささっと撫でて、シリルは花壇へ飛び込んだ。

「たくさん掘ればいいの?」
「うん」
「どうして?」
 両手で土を掻き出しながら興奮する少女に、クレアが手を止めて、掘り返した部分から出てきた花びらを一枚 指先につまむ。やはり、色は分からない。
「見つけた」
 小さな花びらを、月に透かして青年が呟く。
 銀色の光に照らされて見えたのは、花びらに付着した、一本の長い黒髪。



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