ヴァイオレット奇譚◆番外編

◆淡き恋に捧ぐレクイエム 3




 郊外に買った石張りのクラッシックな造りの家は、 その重厚で威厳のある外装を一目で気に入ったハンリエットの一存で家族の新しい住み処となった。
 閑静な住宅地のさらに奥まった場所にあり、隣の家は遙か向こうに辛うじて屋根の先が見える程度。 敷地は広大だが、一般の庶民が暮らすには利便性は最悪と言える。
 以前の家主は弁護士夫婦だったと聞くが、 子供が出来た事により何をするにもちょっとしたドライブになってしまう山奥の家を手放し、ついに都会にマンションを買ったらしい。
 しかしそれも、世間から身を潜めひっそりと息づく異端者には好都合だ。

────それにしたってよ……

 一人うんざりして瑛士が夜の月を見上げる。
 外装は立派だし、内装もハンリエットの要望通り丁寧なリフォームが施された。 問題は、好き放題荒れ放題の庭の草木だ。夏を迎える前にどうにかしなければと奮起したのはどうやらこの家では瑛士だけだったらしい。
 壁を這う蔦を見上げて、ため息をつく。まるで”いかにも”な風貌だ。
 いくら化け物の住み処とはいえ、これはよろしくないだろうと、庭仕事の道具を抱えて朝からせっせと作業していたが、 いかんせん広すぎて一日では終わらない。
────あいつらも帰ってくるだろうし、今日はこの辺にしとくか
 夕方から二人仲良く出かけた万莉亜とクレアも、そろそろ戻る頃合いだろう。そう思って瑛士は両手にはめた軍手を地面に棄て、 道具を抱えようとしゃがみ込む。
 その時、作業で夢中になっていたせいで気付かなかったある匂いを察知し、少年は道具を投げ捨て機敏に後ずさった。

────誰か来る

 かぎ取った匂いは間違いなく同胞の、それも同世代の匂いだ。
 近づいている。着々と。

────この速度、車か……?

 家の中にいる枝に伝えなければならない。枝は匂いをかぎ取れないから、 今この気配を察知しているのはおそらくこの家で自分だけだろう。

「おい! ルイスッ!」

 転がるように庭から屋敷の中に飛び込み、そう叫ぶ。広い家の中では誰がどこにいるのかさっぱり見当も付かず、 瑛士は思い当たる場所を一室一室叫んで回るが、勘が鈍っているのか見つからない。
 そのうち、二階の階段で絵本を抱えたシリルを見つけ、瑛士は逸る心のままシリルに駆け寄った。
「おいシリルッ! 大変だ、今っ……」
「瑛士うるさい」
 慌てた様子の彼が面白かったのか、キャッキャとはしゃいでシリルが逃げ回る。
「てめぇ、ちくしょうっ、こいつじゃ駄目だ、ルイスーッ!」
 再び一階に戻り、キッチンへ向かう。この時間なら、ルイスが夕飯の下ごしらえをしているかも知れない。 そう思って駆け込んだが、当てが外れた。
「どこだよあいつ……」
 舌打ちをしてキョロキョロしていると、外から車のエンジン音が聞こえた。慌てて耳を澄ます。 ドアが開き、閉まる。それから、足音。屋敷内へと侵入されるのも問題だ。
 すっかり混乱した瑛士が、しょうがないと腹をくくり玄関へ向かう。重たい玄関扉が音を立てて開くのと同時に、 瑛士は威嚇のつもりで駆け出しながら叫んだ。

「てめぇッ! 人んちに勝手に……っ!!」
「僕の家だ」

 振り上げられた瑛士の拳が宙でピタリと止まる。その先には、これ以上ないほど不機嫌な顔のクレアと、 驚愕に目を見開いた万莉亜の姿があった。
「あ、あれ……」
「いつからお前の家になったんだ」
「あれ、だって、さっき……あれ?」
「まったく」
 そう言ってクレアが万莉亜のコートを脱がせ中へエスコートする。まだ困惑している瑛士は、とりあえず二人の後を追った。
「おかしいな……さっき確かに匂いが」
 一人ブツブツ言っていると、前方のクレアが歩を進めながら「わかってる」と答える。
「もうルイスが相手の背をマークしてる。じきにこちらに到着するそうだ」
「え、ルイス? そういえばあいつどこにいんの」
「一時間以上前から、単独で尾行しに出てるよ。僕がそう連絡したからね」
「……」
「まぁそれ以前に瑛士が気付くだろうと思ってたよ。もちろん」
「嫌みったらしい奴だな。俺の鼻はそんなに遠くまで効かねぇんだよ」
「そのようだね」
 冷たく言い放って万莉亜の部屋のドアを開ける。 待機していたように出迎えたハンリエットがクレアと入れ替わるように万莉亜の体を抱きしめた。

「何があっても万莉亜を部屋から出さないように。いいね」
「分かってるわ」

 手短にそう言って踵を返そうとしたクレアのコートの端を、反射のように伸ばした手で万莉亜が掴む。

「待って!」
「大丈夫だよ」
 顔を向けてクレアが微笑む。二人で出かけたその帰り道、第四世代がこの家に向かっているからとあらかじめ車内で説明を受けた万莉亜だが、 何と言ってもイタリアへ来てから初めての緊急事態だ。不安で、落ち着かない。
「大丈夫よ万莉亜。向かっているのは一人なんでしょ? それもちんけな第四世代よ」
 おい、とドアの端で不満の声を上げた瑛士を無視して、ハンリエットは万莉亜の体にまわした腕を強める。
「分かってる。怖いだけなの。大丈夫だって分かってる。でも、……気をつけて」
「ありがとう」
 瞳を細めたクレアがなおも不安げな万莉亜の額にキスをして扉を閉めた。

「なにもそんなに怖がることないじゃない。メキシコでだって散々乗り越えてきた夜でしょ」
 部屋のソファに座り、クッションを抱きしめながら万莉亜が頷く。
「分かってる。でも……アリオスティが来るんでしょ?」
 イタリアのラツィオ州を根城にしている異端者のグループ。
 いずれ敵対することは分かっていた。以前の地でも、そうやって戦って居場所を得てきた。
「どこへ行ったって私達は余所者なんだから、受けて立つしかないのよ。 でも大丈夫。お父様は現存する同種の中で今や敵無しの第三世代なんだから。 香港のリンとさえ協定を結び続けていれば、私たちが縄張り争いで負けることは未来永劫無いのよ」
 力強く微笑んだハンリエットを見て、万莉亜は微かに微笑む。それでも、 クッションを抱く腕に込められた力はより増してしまう。
「でも、心配なのは止められないの」
 ともすれば自分よりも大切なあのバイオレットの瞳を失ってしまう。
 それは考えただけで身の毛もよだつおぞましい未来。
 わずかな危険だって楽観視出来ない今、 カフェに一人で立ち寄ったくらいで怒ったあの時のクレアを思い出して、万莉亜は今更ながらに自責の念に駆られた。



******



 待ちかねたようにして玄関の前に仁王立ちをしている小柄な少年の姿を見て、チーノはますます気が重くなった。
 やはり、自分は間違えているのかも知れない。万が一この事が頭であるサーラの耳に入れば、彼女は烈火の如く怒り狂い、 自分を本気で殺しに掛かるだろう。けれど、そんな彼女の性格を知り尽くしているからこそ、こうするしかなかった。
 いらぬ争いは避けなければならない。ましてや、それが負け戦ならば、なおさらに。

────同世代か……彼の香りはそう強くはない。刺し違える覚悟で向かえば……
 エンジンを止めながら、捨て鉢に考える。
 しかし馬鹿げた考えだと、すぐさま首を振って打ち消してた。それでは、まったく意味がないのだから。

「Buona sera」

 ゆっくりと降車しながらそう言ってみるが、少年はぴくりとも眉を動かさない。
 ただ咄嗟に攻撃してくる気配もないから、チーノはこちらも敵意がないということを示すため静かに彼に近寄る。

「Il mio nome e Chino」
「何言ってるかわかんねぇよ」
「Cosa e?」
「お前みたいな奴、招かれざる客って言うんだぜ」
「……」

 少年の態度には含みや裏表というものがなかったから、言葉は通じなくてもニュアンスはよく伝わった。 警戒はされているが、中々に感じの良い門番だ。チーノは少しだけ肩の重みが取れた気がして、捲し立てる。

『分かってる。突然押しかけてすまないと思ってる。でも聞いて欲しいんだ。今日僕がここに来たことをボスのサーラは知らない』
「な、なんだよ。突然ベラベラ喋んな。大体なぁ、今何時だと思ってやがんだ」
『信用して欲しい。神に誓ってもいい。僕は君たちとの争いを望まない』
「言っとくけど家には上げねーぞ。ぎゃあぎゃあ言ったって無駄だからな」
『話を聞いて欲しい。どうかここのボスに通してくれないか?』

 通じていないのは百も承知で縋るように少年を見つめる。
 明らかに警戒はしているが、敵意のないこちらをどうあしらって良いのか困惑しているようにも見える。 つけいるチャンスはある。そう確信してさらにぐっと距離を詰める。

『動くな』

 鋭い声に威嚇されてチーノは慌てて後ずさった。声が耳に届いたのとほとんど同時に、 全身が総毛立つ。心臓は握りつぶされたように萎縮し、呼吸が上手に出来ない。
 少年の背後からこちらに向かって銃を向けるバイオレットの瞳は、自分と同じでいながらまったく異質な光彩を放つ。 部下の報告通り、見目麗しい痩身の青年。頭髪は見事なプラチナブロンドだ。

『……クレア。スウェーデンの、第三世代』
 生きた第三世代を見るのは生まれて初めてのことだった。 とあるブローカーを仲介し、切り取られた腐りかけの肉の破片を喰って転生したチーノにとって、 第三世代の存在はお伽噺の妖精と似たような存在だ。でも今、それを目の前にしてどうしようもない恐怖が本能で襲いかかる。 圧倒的な違い。同じ存在でありながら、まったく異なる匂い。

『喰われるのが嫌なら今すぐに帰れ』
 容赦なく言い放たれて一瞬臆病風に吹かれるが、そうはいかないといつの間にか汗だくになっていた顔を上げる。 それでも、目を合わせることが出来なくて、チーノは仕方なく正面の瑛士に焦点を合わせた。
『た、……頼みたいことがある。どうか話を聞いてくれないだろうか』
 声が震えてしまったが、どうにか第一歩を踏み出すことが出来た。
『関与する気はない』
『抗争をしたいわけじゃないんだ! 頼むから、聞いてくれ』
『断る。僕らは互いに不可侵でいるべきだ。今夜の君の逸脱した行為を見逃して欲しいのなら、今すぐにここを出て行け』
『頼む……っ、サーラはプライドの高い女性だ。後からやってきた君たちを許さない。 しかしそれは、……あまりにも無謀だ』
『それとも頭から喰われたいのか?』
『……頼むよ』

「おい、なんか可哀想になってきたぞ。話くらい聞いてやれよ」
 目の前でどんどんと意気消沈していく男を見て、思わず瑛士が口を挟む。
「何言ってるかわかんないくせに、黙ってろよ」
「なんとなく分かるぞ。お前今こいついじめてるだろ」
「日本語もあやしいくせに……」
 はぁ、とため息をついてクレアが構えた銃を下ろす。相手に戦意が無いのは匂いで分かった。 それを策とするほどの手練れでもなさそうだ。
 クレアが銃を下ろしたタイミングで、車の後部座席のドアが開く。バタンとドアの閉まる音を聞いて、ぎょっとして振り返ったチーノは、 たった今自分の車から無表情で降りてきた男を信じられない思いで見つめる。ここへ来て誰かが乗り込んだ気配はなかった。 ではいつから乗っていたのだろうか。自分は、透明人間でも乗せて走っていたのか。

「彼が単独で乗り込んできたのは真実です。運転中、あの女ボスから電話が入りましたが、自宅へ帰宅中だと嘘をつきましたから」
 淡々と告げるルイスは、銃を下ろしたクレアの甘さを警戒するようにしてチーノの背後に立つ。
「ですが、危険因子には変わりありません」
 そう言って彼の背中にルイスが銃を突きつける。
「話を聞く価値はまずないでしょう。ただ、ここで彼を殺すメリットもあまりありませんね。しいていえば、 目障りな第四世代が一人消えて無くなるくらいですか」
 おい、と声を上げた瑛士を当然無視してルイスは主人に問いかける。
「どうしますかクレア。彼を殺しますか?」
「無益なら殺さない」
「生かすことに利益も見当たりませんが」
 危険因子は微々たるものでも排除したいというルイスの訴えを無視してクレアはかぶりを振る。
「話くらい聞いてやるか。……どうせくだらないんだろうけど」
「そう言うだろうと思ってましたよ」
 諦めてルイスは銃を下ろし、代わりに彼の手足を拘束する。

「おい、お前、良かったな」

 慣れた手つきのルイスに拘束されながら車庫に運ばれていたチーノの肩を瑛士がぽんと叩いて告げる。 その少年の安堵の笑みを見て、さっぱり理解出来なかった日本語の話し合いでの結果、 どうやら自分は命拾いしたらしいことをチーノはぼんやりと悟った。



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