ヴァイオレット奇譚◆番外編

◆淡き恋に捧ぐレクイエム 6




 朦朧とした意識の中で、女が何かを叫んでいた。
――「永遠に一緒だと約束したのに……っ!」
 なんと愚かな台詞だろうか。この世に永遠などあるはずもない。ましてや人の心にそれを求めるなんて。 永遠の愛などというまがい物を、信じてしまえるほどに愚かだった。
 そうだ、あの女は私だ。
 ヒステリックにまくしたて、涙を流し、愛してほしいと叫んでいる。あれは、私だ。

「目が覚めたかい?」
 頭上で発せられた声に、ぼんやりとしていたサーラの意識は覚醒した。
 跳ねるように飛び起き、顔を持ち上げる。途端に全身が麻痺したような感覚に襲われ、 指先ひとつまともに動かせないが、神経だけは妙に研ぎ澄まされていた。気を抜けば一瞬にして命を落としてしまいそうな危機感。 こんなにも強いプレッシャーを、いまだかつて感じたことはない。
「はじめまして。サーラ」
 薄暗い部屋の中、そう言って目の前の青年が微笑んだ。
 けぶるような金髪の美しい男。サーラの好みではないが、聞きしに勝る美貌に一瞬ひるむ。 それとも、不思議な光彩を放つあのバイオレットの瞳のせいだろうか。
「クレア・ランスキー…」
 無意識にその名を呼べば、青年はかすかに頷いた。
 宿敵と対峙した瞬間、白旗を上げたくなるような感覚はサーラにとっては初めてだった。 死をも恐れぬ不死の肉体。それでも、この命を奪うことは、彼にとってはきっと容易いのだろう。
 しかしサーラはこみ上げる恐怖を無視した。彼女はありったけの怒りを込めて、悠然とこちらを見下ろす男を睨みつける。
「……お前を殺してやる。クレア・ランスキー」
 まるで呂律のまわらない舌は、おそらく薬のせいだろう。それでも彼女は一言一言、慎重に発した。
「我らが領土に土足で踏み入った事を、……後悔させてやる」
 青年はじっとサーラの言葉に聞き入った後、少し思案するようにして視線をそらす。
「シリル、電気をつけてくれ」
 暗闇の中、その言葉に小さな物体が動く気配がした。すぐさま照らされた強烈な明かりにサーラの視界は霞む。 何度かまばたきを繰り返し、今自分が置かれている状況を把握しようと彼女はせわしなく視線を四方に投げた。
 狭い倉庫のような部屋。地下だろうか。コンクリートがむき出しになった部屋には無造作に木箱がつまれ、配水管が地を這うように伸びている。 その中に、ぽつんぽつんと置かれているいくつかの黒い金庫を見つけると、サーラはそこに視線をとめた。背筋に悪寒が走る。
 ゆっくりと目の前の男を見上げる。そういえば、彼が先ほどから腰かけているのも、椅子ではなく、黒光りする金庫だ。 そこに腰かけ、いまだ地面に横たわるしかないサーラを見下ろしている。まるで、恐れを知らぬ化け物のような不敵さで。
「君が意識を手放してから48時間だ。その間に、昼夜問わず次々と刺客がやってきたよ」
「……」
「君とチーノを除いて6人。うるさいから少し静かにしてもらった」
 金庫の数は6個。
 体の底から湧きあがる怒りの衝動のまま、サーラは獣のような叫び声をあげた。
「君たちがこのまま、黙って去るというのなら、彼らを解放しよう」
「黙れっ! よくもっ、よくも私の家族を切り刻んだなっ!!」
 興奮したサーラは、心とは裏腹に脱力したままの体をじたじたと捻る。悔しさに顔をゆがませる彼女を、 クレアはただじっと見据えていた。
「サ、サーラ……」
 やがて、かすれた声が彼女を呼んだ。
 自分の背後で、同じように横たわっていたチーノの存在に初めて気づいた彼女は、憎しみの瞳をチーノにも向けた。
「貴様ッ、この裏切り者! 殺してやる!」
「聞いてくれサーラ……、ジャンが、ジャンが君の命を狙っている……」
 ジャン・アリオスティ。かつてアリオスティ一派のリーダーであり、サーラの夫だった男。
「君を死なせたくはない……」
 観念したように両腕を広げ、天井を仰ぎながらチーノが言う。
「第三世代の傘下に下るんだ、サーラ。上の世代を敵にまわすべきじゃない」
「このっ……恥知らずがッ!!」

 黙って二人のやりとりを聞きながらクレアはそっとため息をこぼした。
 話なんて聞くべきじゃないと主張していたルイスを思い出す。有能な従者はいつだって正しいのだ。



******



 朝早く目覚めた万莉亜は、隣にクレアがいないことを知ると少しだけ落胆した。
 彼が自分をベッドに置き去りにしていく時は、大抵が"よくない問題"の対処に出かけた時だ。 わかっていても不安はつきまとうが、万莉亜を危険から遠ざけるため、彼女には全てを語りたがらないクレアの性格もよく知っているから、 頭を切り替えて彼のために朝食を用意することにした。
「おう、起きたか」 
 身支度を整えてキッチンに向かうと、相変わらず荒れた庭の手入れに夢中な様子の瑛士が、掃除用具を抱えて横切った。
「瑛士くん、おはよう。今日もお庭のお手入れ?」
「今日はヘドロまみれのプールだ。お前も暇なら手伝え」
 生意気な口調の茶髪の青年は、こう見えて一番の働き者だ。万莉亜はそんな彼を尊敬している。
「朝ごはんを作ったら手伝うね。瑛士くんも食べるでしょ?」
 食う、と告げて彼はそそくさと庭へ向かう。いつもと変わらない彼の姿は万莉亜を安心させたが、 一方で姿の見えない枝たちにまた不安が募る。ぎゅっと目を閉じて万莉亜は頭を振った。 自分がしゃしゃりでた所で役に立たないことは分かっている。

「瑛士くーん、パンでいいよね?」
 戸棚をあさりながら問いかけるが、返事はない。大方外の仕事に夢中になってるのだろう。 万莉亜はパンの包みを抱えたまま、広い庭へ続くリビングのガラス戸に向かい、そこから顔を出して瑛士の姿を探す。
「瑛士く……」
 言いかけて、ハッと口を噤む。
 自分の声が、ちょうど揉み合う彼らの喧騒に掻き消えたことに感謝した。
 庭の真ん中で、瑛士は銃を握った大男に掴みかかっていた。相手もまた興奮した様子で、イタリア語で何かを捲し立てている。 サーラ、と繰り返すその男の言葉を聞いて、万莉亜は早鐘を打つ心臓に手を当て、静かに顔を引っ込める。
――アリオスティだ……誰かに知らせないと……!
 アリオスティのボスであるサーラを捕らえてからというもの、彼らの仲間がひっきりなしにやってきているのは知っていたが、クレアが全て先回りで対処していたため、 こんな時どうしたらいいのか万莉亜には皆目見当もつかなかった。
――「一人で外出はしないこと」
 クレアからもらっていた指示はたったこれだけ。
――家の中に入ってきちゃった場合はどうしたらいいの!?
 万莉亜は胸にパンの包みを抱えながらとっさに裏口へ回る。とにかくクレアに知らせなければならない。幸い彼の居場所は見当がついていた。
 本宅の離れにあるコンクリート造りの四角い建物。ここに越してからクレアが作らせたものだ。あえて聞かなかったが、 どこに拠点を移しても必ず造られるその離れが、何のためなのかは鈍感な万莉亜も気付いていた。



 今まで一度も踏み入れたことのない離れの扉を開けると、部屋の中はガランとしていて、中央に地下へと続く階段が見えた。
 地下があったことすら知らなかった万莉亜はしばらく呆然とそれを見下ろす。下で何が行われているのか考えるだけで身震いしそうになるが、しかし侵入者を見つけてしまった今、 家に逃げ帰るわけにもいかず、薄暗い地下への階段を一歩踏み出す。足音を立てないようにこっそり近づくのは、 背後に迫る侵入者と同じくらい、敵対する同族に容赦のない、クレアのもう一つの顔が恐ろしいからかも知れない。

 階段を下りると細いコンクリの道が続いていた。
 まったく、一体いつの間にこんな複雑な建物を作ったのだろう。いつだって肝心なことは秘密主義の彼だ。飽きれ半分に突き進むと、 そびえたつ鉄の扉に行き止る。
 分厚い扉の向こうから、何かを叫ぶ男性の声が聞こえた。イタリア語はさっぱり分からない万莉亜だったが、 その声はひどく哀れな響きで、そして疲弊もしていた。
――中で何が起こってるの……
 扉の中にクレアがいることはほぼ確信していたが、先ほどの勢いは失せ、万莉亜は扉と自分の後方を順番に見やる。 この扉の先でもし血みどろの惨劇が繰り広げられているのなら、招かれざる侵入者と対峙する事とどちらがマシだろうか。



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