終局からのはじまり



第壱部


第肆話 新たなる生活








 響いてくる声。
 聴覚によって聞き取るものではなく、頭へと直接伝わる。
『リリス』
 その声は自らをそう呼んだ。
 リリス―――第二使徒であり、綾波レイの中にいた存在。
 真に無へと還ることを望み、サードインパクトにより無へと回帰していった。
 それなのに、この世界で存在している。
 助けてくれたことといい、疑問は募るばかりだ。
「…このままでは話しにくいですね」
 声がそう言うと、光の奔流が辺りを覆う。
 小さな煌きが一つの場所を目指し次第に収束しはじめた。
 煌きは姿無きものを姿あるものへと変化させていく。
 幻想的な光景をシンジはただ見つめていた。
 いや、その美しさに目をそらせないといったほうが正しい。
 しだいに光は収まりをみせ、人の形が現れる。
「…………」
 その姿を見たときにシンジは息を呑んだ。
 光に透けてなびく銀髪。
 整った顔立ちに、繊細な肢体からだ
 印象的なエメラルドの瞳。
 体を包む衣服は現代にあるものではなく、宮廷におけるシルクのドレスを思わせる。
 だが、そのような外見よりも纏う雰囲気がシンジを圧倒していた。
 威圧感によるものではなく、体からにじみ出るような神秘性が彼女という存在を主張する。
(けたが違うよ……)
 自分というものとは違う。
 使徒だからということではなく、それよりももっと高い次元にあるような感覚。
 どこか完成された姿というもの思い浮かばせられた。
 それなのに、どこか悲しい雰囲気を漂わせている。
(どうしてだろう…胸が苦しい)
 エメラルドの瞳に見つめられると胸を締め付けられるようになる。
 一目ぼれとかそういった感覚ではなく、悲しみに押しつぶされそうに。
「あなたは…なにがそんなに悲しいんですか?」
 心に思った言葉が口から声となってこぼれてしまう。
 彼女の瞳が一瞬驚きで大きく見開かれる。
 その口から言葉が漏れようとするが……
「う…ん」
「……ここはどこだい?」
 いままで倒れていたレイとカヲルが起き上がり、それを見て口を閉ざしてしまう。
 レイたちはというと、自分の体の感触に驚いていた。
 しきりに体を動かしたりして確かに存在することを確信する。
 同時にそのことにたいして疑問を抱いていた。
 自然に視線がリリスの元へと集まる。
「あなた…誰?」
 倒れていたために彼女が誰だかレイには分っていない。
 その様子に気分を害した様子を見せずリリスは淡々と話し出す。
「私はリリス。あなたの中にいた存在…それで十分よ。尤もタブリスは私のことは知っているでしょうけど」
 視線をゆっくりとカヲルに向ける。
「そうですね、お久しぶりですリリス様」
 静かに頭をたれる。
 シンジは軽い驚きを覚えた。
 誰に対しても態度を崩さないカヲルが敬語を使い、謙った様子を見せる。
 そんな様子を見たのは初めてだった。
「驚いているみたいだねシンジ君。僕にとってリリス様は仕えるべき存在であり、僕らを統べるものでもあるんだ」
 心の内を見透かしたように言う。
 シンジは意味がいまいちつかめていないのか不思議そうな顔をした。
 さらにカヲルは言葉を続けようとしたが、リリスはそれを遮る。
「タブリス、それくらいでいいでしょう。いずれ、彼にも分る時がきます。それよりもあなたたちは私に聞きたいことがあるのではないですか?」
「確かに」
 笑みを抑えて質問へと移行する。
「リリス様、なぜあなたがこの世界にいるのですか?」
 回帰したはずの存在が目の前にいる。
 それはシンジも思っていた疑問だ。
「私にとってサードインパクトは無への回帰へのための儀式。インパクトを終えれば私はいつでも回帰することができます。無へもこの世界へも行き来することは造作もないことなのです」
「つまり、あなたは無とこの世界を自由に動ける存在ということですか」
「そういうことになります」
 納得した姿を一瞥し、話を続ける。
「インパクトを終え、私は無へと帰るはずでした。だけど、この世界で唯一形をもつもの「碇シンジ」という存在が気になりだしたのです。何もないこの世界で生きようとするその存在が」
 瞳はシンジを捉えたまま、言葉を紡ぐ。
「あなたはこの世界で生き続け、そして絶望する。苦しみにおわれ、他の人たちのように一つの世界へ向かおうとしていました。その姿は見てタブリスや綾波レイはあなたを救おうと必死になっていました。なぜそこまで他人であるあなたという存在を助けようとするのか……」
「人を助けたいという気持ちは当たり前のことじゃないんですか?」
「そうかもしれません。けれど、自分の命を投げ出してもということなら話は変わるもの。人とは自分の命を大切にするのです。だからこそ、二人が助けようとするあなたが気になりました」
 リリスの瞳は揺らいでいた。
 羨望…なぜかそんな感じが伝わってくる気がする。
「…私は二人をあなたの精神こころへと送り、救う手助けをした。そして、二人の望みを叶え、この世界へと具現化させました。存在をもらうというのは二人の意志の強さを試しただけです。もし、あそこで僅かでも躊躇したならば本当にもらうつもりでした」
「そうか、それで二人がここに……」
 自分と共にありたいという二人の気持ちに嬉しさがこみ上げる。
 それを叶えてくれたリリスにも。
 希望はまだある、そう思えてきた。
「ただし…」
「…?」
「二人が存在できるのは1年ほどです」
 言葉が出ない。
 あまりにも突然のその言葉には何も言えなかった。
 せっかく出会えたのに1年という時間しか存在できない。
 それはあまりに残酷だった。
「どうしてですか!?」
 レイの悲痛な声が響き渡る。
 やっと人として共に生きることができるのに…その思いが彼女を支配していた。
 それでもリリスは表情を変えない。
「忘れたのですか? あなたたちは一度死んでいるのです」
「……っ!」
 胸に突き刺さる言葉。
 そして事実。
 カオルはシンジの手によって死という自由に旅立ち、レイは赤木ナオコにより一度殺されている。
 レイにいたっては16使徒戦によりさらにもう一度死んでいる。
「綾波レイは正確には死んだわけではありません。しかし、魂は移り変わるたびに劣化していったのです。扱いきれない技術を使用した結果がそれをもたらしました。タブリスは一度死を体験しましたが、揺ぎ無いその魂がこの世界で具現化したのです。それゆえに、二人の魂をこの世界にいつまでも残すことはできないのです」
 残酷な宣告だった。
 自分たちの生への執着のなさがこの結果を生み出したのだ。
 いまさら生を望んでも遅い。
 後悔が彼を支配していた。
「どうして…それだけしか!?」
 言葉を紡げない二人よりも納得できないのはシンジだ。
 望んでいた他人がやっと存在するのに、それは短い時間しかいられないのだから。
 責めたてるような言葉棘となってリリスに向かう。
「……勘違いしないでください。私は人より大きい力をもつ存在ですが、全知全能ではありません。できることとできないことがあります」
 纏う雰囲気が悲しみに彩られる。
 リリスの言うことは正しい。
 短い時間とはいえ二人を存在させてくれることに感謝こそすれ、責めたてるのは見当違いだ。
 自分のことしか考えていないことにシンジは恥ずかしくなった。
 彼女にあたってしまったことも。
「あ…すいません。あなたは悪くないのに…」
「いえ、いいんです……」
 慌てて謝るが、相変わらず態度は変わらない。
 その姿が昔のレイに重なった。
 本質部分で二人は似ているのかもしれない。
「それでは、私は戻ります」
 光が弾け、彼女の姿を象っていたものが薄れていく。
「いつか…あなたは私のすべてを知る時がきます。すべての人の記憶を知ったときのように。その時に私はまたあなたの前に現れるかもしれません……」
 その言葉を最後にリリスはいなくなった。
 また、世界を漂うのだろう。
 もしくは無へと回帰したのかもしれない。
 静寂と、リリスがいた残照が辺りを支配する。
 ぼうっとそれを眺めていた視線をシンジは下ろし、瞼を閉じる。
 心を落ちつけて、背後にいる二人へと振り向き笑顔を見せた。
「帰ろうか?」
「どこへだい?」
 主語が抜けた会話にカヲルは質問をする。
 シンジは二人の背後へと指をさしてこう言った。
「僕たちの家へ」






 ジオフロントにある宿舎へとつくと急激に体がだるくなった。
 張り詰めていた緊張がとれたせいだろう。

 く〜

 誰かのお腹が小さく鳴った。
 自然と視線が音源へと向かう。
 二人の少年の視線が少女へと注がれる。
 注目の的となっているレイは顔を恥ずかしさで赤らめ、そっぽを向いてつぶやく。
「も、問題ないわ…」
 その様子がたまらなくおかしくてシンジは笑ってしまう。
「あはははは…問題あるって綾波ぃ」
 思い人に笑われてますます顔が赤くなる。
 いつまでも笑っている彼に対して頬を膨らまして拗ねだしてしまう。
「むぅ……」
 他人との触れ合い。
 今のレイには悪いがシンジはそれを楽しんでいた。
 サードインパクトを終えて初めての他人との生活だったから。
 拗ねているレイをなだめながら、変わったなぁとつくづく思う。
 昔の彼女からはこういった反応を伺えなかった。
 カードを届けに行き、押し倒してしまうという事件があったがそれも無反応だった。
 それが、今はどうだろう。
 もしも昔を知る人物がいてこの場面を見たら、よく似た他人に思われてしまうくらいだ。
 人は成長して、変わっていく。
 それをシンジは嬉しく思っていた。






 お腹をすかせたレイのためにシンジは腕を揮っていた。
 いつもは自分のエネルギー摂取のためだけだったが、今日は他人のために作っている。
 それだけで料理に対する情熱がよみがえってきた。
 もともとたいした食材がないこの世界、おいしくする為には腕前が必要不可欠となる。
 だてに半年シンジはこの世界で過ごしていたわけではない。
 元々上手かった料理もさらに上達していた。
 仕上げた料理を片っ端から皿に乗せていく。
 手際のいい作業にただカヲルは呆然としていった。
「すごいものだねぇ〜」
 隣では目の前に積まれている料理に手を伸ばしたくて、うずうずしているレイがいた。
 じ〜っと料理から目をはなさない。
 作業を終えて、手を拭きながらシンジはテーブルへと近づく。
 じ〜っと料理を見続けるレイを微笑ましく見ていた。
「そろそろ、食べようか」
 席について、箸を取り出す。
「いただきます」
 シンジの様子を見て二人も遅れて食前の挨拶をしだした。
「「いただきます」」
 お預けをくらっていたレイは目を輝かせて真っ先に箸を使い食べ出す。
 レイにとってシンジの手料理は初めてのものではない。
 ミサトに呼ばれて少ないながらも食べたこともある。
「シンジ君、おいしいよ」
 カヲルは笑顔を向けて褒める。
「碇君の料理がおいしいのは当たり前…」
 黙々と食べながら横目でカオルをつっこむ。
 肉料理が一切ないので、食べることに制限がなくなっていた。
 カヲルのほうも遠慮はない。
 一つの料理をめざしてレイとおかずの取り合いをしていた。
「これはあなたには渡さないわ」
「ふ…それはこっちの台詞だよ」
 箸と箸とがぶつかる激しい戦い。
 表現するのもおかしいものだった。
(他の食べればいいのに……)
 自分のペースでゆっくりと食べながらシンジは心の中で思っていた。
 ものすごく正論だが、今の二人には言ってもダメだろう。
 自分の作った料理を美味しいといい、取り合う二人を微笑ましく見ていた。






「もう寝ようか?」
 疲れた体を休めるためにさっさと睡眠をとる。
 当たり前のことだが、それは波紋を投げかける。
「そうだね、そろそろ眠ったほうがいいね」
「お休み、綾波」
 少年二人は寝室へと向かう。
 だがレイはそれに納得した様子を見せなかった。
 何を納得していないのだろうか?
「どうしてあなたがいっしょなの?(怒)」
 カヲルにきつい視線を送る。
 自分は隣の部屋なのにカヲルがシンジと同じ部屋というのが納得いかないらしい。
 その質問に少年は余裕で答える。
「男同士が同じ部屋で寝て何が悪いというのかな?」
 正しいのだが、カヲルがそれを言うと怪しく聞こえてしまう。
 シンジは一度、いっしょに寝室を共にしたことがあるので警戒心はなかった。
 レイはしぶしぶながら引き下がる。
 さすがに分別くらいはあったようだ。
 ここでことを起こしてはまずいと思ったのか。
「……おやすみなさい」
 さりげなくカオルの足を引っ掛け、転んだのを見ると、部屋へと向かっていた。
(上手くやっていけるかな?)
 床に倒れたカオルを見ながらちょっと先行きが不安になるシンジだった。







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