終局からのはじまり
第壱部
第陸話 過去への回帰、そしてはじまり
あれから一年の月日が過ぎた。
『あれから』
それは二人が消えた日を示す。
悲しみに押しつぶされそうになりながらも、作業の手は休めなかった。
約束を果たすためには立ち止まるわけにはいかないのだから。
はじめの頃のような『生きる』といった漠然としたものではなく、過去へと回帰して『大切な存在を守る』という約束のために身を削る思いで作業に没頭していった。
三人でやっていた時とは違いスピードこそは落ちたが、蓄積された容量がそれをカバーしている。
結果、完成まであと一歩と迫っていた。
「一年か……」
モニターの端に表示されている数字を見つめる。
予想よりも格段に早い。
当初の予定ではあと5、6年はかかるはずだった。
それをここまで可能にしたのはリリスの記憶から得たロストテクノロジー。
現代の技術を超えた過去の遺産だ。
知れば知るほど技術のすごさに感嘆の息がもれてしまう。
ホログラフィックメモリもさらに小型化され、記憶容量も格段に増えた。
あとは最後のプログラムを打ち込むだけ。
Enterのボタンを押せばそのプラグラムは発動する。
滑らかに動いていた指先がゆるやかに止まった。
「完成だよ」
そしてシンジの指先がボタンを押した。
『システム起動します』
無機質な声が響く。
『質量投影、質量再生回路起動。感情のルーチンを構築します。』
立体映像が浮かび上がり人の姿を形成する。
年の頃は20歳前後。
腰まで伸びている金髪に大人びた顔、緋色の瞳にスレンダーな体型をしている。
無表情だった顔に笑顔を浮かべて彼女は第一声を放つ。
「おはようございます、マイマスター」
「おはよう、『ルナ』」
こうしてスーパーコンピュータ『ルナ』は誕生した。
『ルナ』の特筆すべき点は思考がアナログなこと。
その点においてはMAGIと同じだが、柔軟性においては桁違いに高い。
さらに自己進化、自己学習をし、自らによって能力を向上させていく。
プログラムされたことだけが全てではない。
質量投影、質量再生回路により物質を触れたりすることもできる。
外見においてはほとんど普通の人間と変わらない。
ルナが人間と違うのは、食事という非効率的なエネルギー摂取方法がないことと排泄が必要ないということ。
誰しも彼女のことは人間以外には見えないだろう。
映像を投影できる範囲も、妨害されなければ地球のどこへでも映せる。
足りない点といったら経験が少ないということだろう。
現在ある情報以上のことはできない、それ以上になるためには自ら学習する必要があった。
「それでは早速はじめましょうか」
人差し指を立ててニコニコと笑う。
「はい?」
間抜けな声が出る。
いきなり何を言うのだろうとシンジは思った。
彼女はいったい何をはじめるというのだろう?
「え〜と、何をするのかな、ルナ?」
「決まっているじゃないですか、過去へ行くための問題点を解明するんですよ」
さも当然に言い放つ。
確かにそれを探すために作ったのだが、完成してすぐに言われるとは思ってもみなかった。
人格をもっと確立してから取り組んでも不都合はない。
むしろ、それからのほうが柔軟な考えが出せそうだ。
「何もそんなに急がなくても…」
「ダメです! 早期解決のためには手早く行動をする必要があります」
反論するが、指を立ててめっと怒られてしまう。
融通が利かないなぁとシンジは心の中で呟く。
そもそも性格はもっと大人びたようになるはずだった。
誰だこんな風にしたのはと叫びたくなるが、それをしたのは自分であることを思い出し、叫ぶことはできない。
「やらせていただきますぅ」
「その意気です、マスター」
結局、押しに弱いシンジは従ってしまう。
これではどちらが創造主なのか分かったものではない。
ルナが手を動かすたびに周囲に3Dモニターパネルが現れる。
近未来的な光景を見ているようで改めて技術の高さを認識してしまう。
が、
「ああ〜違う…うにゃ、こっちも〜〜〜」
「…………」
あっちへこっちへと転げ回る様子はいただけない。
どうみても精神年齢が低い大人だ。
これを見て彼女のことをスーパーコンピュータだといっても、信じてはくれないだろう。
動き回るたびに律儀にモニターもいっしょに動く。
「……はぁ」
自然とため息が漏れてしまう。
親しみがいはあるのだがどうも緊張感がない。
「どうしたんですか、マスター?」
転げ回るのをやめ、そのままの格好で首だけを向ける。
それがまた人間くさくていい。
「なんでもないよ」
「そうですか?」
首を少し傾けて分からないといった顔をする。
ルナの様子を見ながらシンジは久しぶりに楽しい気分になっていた。
会話を交わすのも一年ぶりなのだから。
微笑ましい光景を見ながら、これでもいいかなと思うシンジだった。
3ヵ月後、ようやく問題点の解決策が見えてきた。
一見ふざけているようでルナはしっかりと模索している。
相変わらず緊張感は足りないのだが。
「マスター、分かりましたぁ!」
大げさな手振りで近寄ってくる。
解決策が見つかったことがよほど嬉しいのだろう。
「じゃあ、聞かせてくれる?」
「はい」
満面の笑みで答えると、モニターを表示させて説明を始めた。
「まずは肉体が時間の流れに耐えられるかという問題ですが、これはATフィールドを用いれば大丈夫です」
「ATフィールドかぁ…でも僕は扱えないよ?」
「……あぅ」
一気につまる。
シンジは十八使徒として目覚めてはいるがATFを自由自在に扱えるわけではない。
まだ自分の形を保つくらいしか使えないのだ。
だが、ルナとて他に案がないわけではない。
「なら、ナノマシンを用います。指を動かすような感覚で細胞自体に意識を向けて、劣化を抑えます。
だけど、普通の感覚でそれをするには細胞というものはあまりに細かすぎるので、ナノマシンを用いることにしました。そうすれば、体全体に対するイメージ伝導率をあげることができるのです」
「それなら肉体自体は衰えないね。そうなるとあとは体を守るためのものか…」
肉体年齢が進むことを防いでも、肉体自体がダメならそれでは元も子もない。
しかし、ルナは余裕の笑みを浮かべて答える。
「大丈夫です。その点については歪曲場を用います」
「歪曲場……ディストーションフィールドか」
「はい。装置自体は作るのにさほど時間はかからないのでこれはOKです」
胸をそらして威張る。
いつのまにか服が白衣へと変わっていた。
科学者のつもりだろうか?
「なるほど…次は正確な場所への移動だけど、これもその様子だと大丈夫みたいだね」
自信満々のルナの様子を見て笑顔を浮かべる。
「時空間移動についてはマスターの力に頼るしかありません。使徒と呼ばれる存在はみなその能力を持っているようです。最初は空間移動だけだと思いましたが、それではセンサーに反応するはずです。ということは別次元から使徒という存在が突然現れたと考えられます。その能力をマスターに使ってもらうには、またナノマシンを使います」
一息ついて、シンジのほうを見る。
その後の事はシンジにも予測はついていた。
「イメージ伝導率を高めることによって体に呼びかけ、内なる能力を呼び起こす。そして、戻りたい場所へとイメージする」
「その通りです、マスター」
確かにこれなら可能だろう。
シンジも考えつかなかった訳ではないが、確信はなかった。
だが、スパコンであるルナの同意見によりそれは確信へと変わる。
「これでどうにかなったわけか。ありがとう、ルナのおかげだよ」
「そ、そんなことないです」
表情に照れが入る。
やはり創造主たる人物に褒められるのは嬉しいのだろう。
外見は大人だが、中身はまだまだ幼い。
純粋な子供のような存在だ。
「それじゃあ、早速始めましょう」
「また?」
「はい。行動は迅速に、です」
「はいはい」
考えついたら即行動。
それは目的への近道なのだ。
全ての装置はシンジが作ることになった。
『力仕事は男の仕事です』
とルナが言っていたがもとよりそのつもりだった。
プログラムを組むのはルナのほうが格段に早い。
手打ちではなく、直接プログラムを組み立てるのだから当たり前だが。
相変わらずよく分からない叫び声が聞こえてくるが、シンジはもはや気にしていない。
というより慣れてしまったのだろう。
両方とも完成するのに要した時間は2ヶ月。
実験を行い、成功を収めてこれだけの期間で終えたのなら上等すぎる。
(あとは、ナノマシン注入注射にナノマシンを入れて注射…っと)
プシュ
手の甲に当ててボタンを押す。
軽い音をたてて体へと入っていく。
今回注入したのはイメージ伝導率を上げるものと、自己回復をより促すもの。
後者のほうは後々のことを考えると入れておいて損はないだろう。
他にもいろいろと注入できるが、あまり多く入れると体が拒否反応を示す。
かえってマイナスになる恐れがあった。
注入し終わると、今度は意識を体へと向ける。
(何か…違う)
違和感。
体の隅々まで分かるような…
細胞の一片まで感じ取ることができる。
当然ナノマシンのおかげであるのだが、それだけではこんな短期間に分かることはできない。
無意識のうちにATFを使っているせいもあるのだろう。
不意に意識が重くなった。
(疲れる……)
体の隅々まで意識を向けるというのは並大抵のことではない。
それが小さいものならなおさらだ。
まずはこの感覚に慣れることが課題として見えてきた。
「そう簡単には上手くいかないってことだね…」
どかっと疲れた体を床に倒す。
ひんやりとする床の冷たさが心地いい。
冷たさに身を任せシンジの意識は静かに沈んでいった。
『内なる力』
そう言われてもピンとこない。
今までの使徒にはあったがそれが自分にあるとは確信できなかった。
十八の使徒たる自分は他の使徒に比べると異質な存在だ。
サードインパクトにより短時間で変質した存在。
カヲルのようにATFを操るものでもなく、特に目立ったところはない。
シンジは自分にそのような能力があるとは思えなかった。
だからといって、その能力がなければ過去への回帰は望めない。
信じるしかなかった。
一ヵ月後。
ルナが傍らで見守る中、意識を集中する。
一ヶ月の間精神的疲労をなくすことへと集中していた。
より深く意識を落とすためには避けられない作業だ。
「ファイトです、マスター!」
今のシンジにはルナの声は聞こえてないだろう。
それだけ意識を沈めているのだ。
(深く…深く…)
ドクン
(何だ…? この感じ…)
体の奥から、いや、精神の奥から何か異質なものを感じる。
自分のもので自分ではないような……
(何…か…入って…くる……!)
得体の知れない奔流と精神が接触し……
シンジは意識を失った。
(ここは…どこだろう?)
ただ何もなく漂っている。
それは感じ取ることができた。
だが、ここが何なのかまでは分からなかった。
(おまえは…力を欲するのか?)
(……!?)
静かに、それでいて強さを感じ取れる声。
どこかで聞いたことがある様な気がした。
(誰…ですか?)
姿は見えない、だが少なくても悪意は感じられない。
その存在が気になった。
(我が名はアダム。本名は別だがおまえにはこちらのほうが分かりやすいだろう)
(アダム!?)
はじまりの使徒、リリスと共に他の使徒を統べる存在。
そう、この声はリリスの記憶で聞いた声だ。
その存在が今、目の前にいる。
だが、なぜその存在が自分の意識にいるのだろうか?
(なぜ…か、お前とは波長があうからな)
(どうして…)
(何を驚く? ここは意識の世界。思ったことは伝わるところだ)
確かに。
当たり前のことを忘れていた。
この考えもまた伝わっているのだろう。
アダムがわずかに苦笑したかのように思えた。
そして、再び問いかけてくる。
(もう一度問う。おまえは力を欲するのか?)
力、シンジはそれを望んでいる。
過去へと戻るために。
(僕は…力が欲しい。あの頃へ戻り、大切な人たちを救うために)
嘘も偽りもない揺ぎ無い気持ち。
そのために全てをかけている。
(ならば力を与えよう。ただし…条件がある)
(…条件)
(おまえが愛する者のために全てをかけよ。だが、その者を決して愛してはならない。見返りを求めるな)
(……ただひたすらに守り続け、例え彼女に好意を抱かれようとも応えてはならないということですか?)
(そうだ)
綾波レイという人物を求めてはならない。
そのことには驚いたが、ショックではなかった。
自分が愛した綾波レイはもうこの世界から消え、これから守ろうとする綾波レイは別の存在だからだ。
だから、それでもかまわない。
守ることさえできるなら。
(分かりました)
(そうか、ならば力を与えよう。これから俺とおまえが同化をはじめる。望む力はそのときに手に入れられるだろう。お前たちがATフィールドと呼ぶ力もじきに目覚めるはずだ)
(なぜ同化する必要が?)
(俺は意識体にしかすぎない。つねに誰かの意識にいなければならない存在。それが今回は波長が合うお前だということだ。尤も、気になりはするが今のお前にとってはどうでもいいことだろう?)
アダムの言うとおりだ。
今は力を求めている。
ただそれだけでいい。
(俺の力はお前が望む時へと運ぶ。ただし、それは一度だけだ)
その言葉を最後に意識が融合していく。
境界はなくなり意識が混ざり合う。
世界が歪み始め、光が弾けた。
「…ス……ー…」
誰の声だろう…意識がぼやけてわからない。
「マ…ター…!」
ああ、この声はルナか。
「マスター!」
涙…泣いているの?
「な〜に泣いてんだか」
「マスターのせいじゃないですか! 急に、倒れて…呼んでも…反応無くて……!」
そうか…僕がいなくなったら一人になってしまうからね。
一人の寂しさは誰よりも知ってる。
「ごめん…ルナ」
頭に手を乗せて静かに撫でる。
母親が子供にするように優しく。
「むう…子供扱いしないでください」
口では拗ねた反応を見せるが、顔は緩んでいる。
「結果的には力を手に入れられたし、よしとしよう」
「手に入れられたんですか?」
「まぁね」
寝転んでいた床から立ち上がる。
いきなり倒れたみたいで頭が痛かった。
「いよいよ過去へと向かうんですね」
「そういうことになるけど、まだやり残したことがあるんだ」
「やり残したこと?」
「そう、やり残したこと」
ルナの方を向き、意味深な笑みを浮かべてシンジは言った。
やり残したこと、それは過去へ向かうにあたって用意しなければならものがあることだった。
まずはエヴァの装備。
エヴァは確かに比類なき強さを誇ったが、それに見合った武器が無かった。
強度の問題でナイフどまりだったり、牽制くらいにしか役に立たないパレットガン。
エヴァ自体を扱いきれていないわけだから、それに見合った武器を用意できるわけはない。
その点は武器データを記録として持っていく。
次は戻った後に何をするかということ。
第二の特務機関を設立するという考えがあったが金銭的なもので無理だろう。
ネルフはゼーレとその他の国からの資金によって運営されている。
中でもゼーレの力は侮れない。
世界経済のほとんどを牛耳っていると言ってもいいだろう。
そのためにネルフは資金繰りで多少無理がきく。
そのような状態の世界で第二の特務機関を立てることはできない。
だからといって民間でやるには資金がかかりすぎる。
運営もままならない。
これは却下となる。
そうなると、個人の力および戦自の力を借りるのが手っ取り早い。
戦自のほうはどうにかできるかもしれないが、ゼーレの息がかかったものも多数いる。
それでも特務機関を作ることよりはやりやすい。
個人の力でやる、これはどこまで通じるか分からない。
いくら使徒としての力を持ち、膨大な知識をもっているとはいえ個人では限界がある。
しばらくはエヴァを用いて使徒を倒すということに付き合うしかないだろう。
その一方で過去の世界のシンジたちを守る。
これくらいだろう。
最終的にはゼーレを倒せれば万事解決だが、それができたら苦労はしない。
ネルフとは違い、選りすぐりの人員で構成された戦闘集団は手を焼く。
その気になったらカヲルのダミーまで持ち出してくるだろう。
そこまではまだ予想の許容範囲にある出来事だ。
問題は『碇シンジが過去へと戻ること』だ。
これにより歴史は修正を始めるだろう。
碇シンジというイレギュラーを抱えたことで間違いなく歴史は変わっていく。
エヴァに強力な武器を与えればそれに合わせて使徒も強力になり、苦戦は免れない。
かといって、武器を与えなければ苦戦を強いられ、勝てるかどうか分からない。
自分の時にはほとんど紙一重、もしくは奇跡的に勝てたものばかりだ。
歴史がどこまで変わっていくのかは予想もできなかった。
「考えれば考えるほど泥沼に沈んでいくよ…」
頭を抱えて悩みだす。
だが瞳には揺るぎは無い。
どんなことが起きようともやり遂げて見せる。
その意思は変わらないから。
さらに二ヶ月の時がすぎた。
具体的な解決策は決まらなかったが、それも仕方ないと思い始める。
ここでいくら悩んでもダメなのだから。
状況にあわせて自分自身が臨機応変に対応していくしかなかった。
「ルナ〜思うんだけどさ……」
「はい?」
「なんで過去に戻りたいんだろう?」
「ふぇ!?」
武器の設計データをまとめていた手を休める。
ルナは驚きで大きく目を見開いていた。
そしてすぐに批難の言葉を投げかける。
「何言ってるんですかマスター! 大切な人たちを守りたいから、二人との約束があるからじゃないですか!」
「そうなんだけどね……」
はっきりしないシンジの態度に表情が曇りだす。
あれほど固執していた過去への回帰が目の前にあるのに、どうしてそういうこと言うのか分からなかった。
改めて表情を見ると、瞳に陰が差し込んでいた。
「大切な人を守るとか、二人との約束って建前の様な気がするんだ」
ぽつり、ぽつりと話し出す。
「確かに『あんな歴史はもうたくさんなんだ!』そう思ったこともある。でも、結局はこの世界から逃げ出したいのかもしれない」
「マスター?」
「一人が怖いから…また一人でいることが怖くなったから…そんな気がしてならない」
「マスターはそんな人ではありません!」
ルナも頑として譲らない。
だが、シンジは首を振って否定する。
「ルナ、僕はそんなに強くないないよ…この世界の孤独に耐え切れなくて僕は一度壊れかけた。カヲル君とレイが消えた時も、悲しみと孤独に負けそうになった」
普段の強さがまるで感じられない、昔のシンジがそこにはいた。
その様子に声がかけられない、データとしてシンジの言う出来事を知っているから。
「ルナが完成したとき、すごく嬉しかったよ。また一人じゃなくなるって。あそこでもし、完成していなかったらまた精神が壊れたかもしれない」
孤独には耐え切れないから。
「今という現実から逃げ出したいだけなんだよ……」
自虐の笑みを浮かべる。
今、目の前にいる人物がシンジだということがルナには信じられなかった。
あまりにも繊細で儚げなこの少年は。
でも、立ち直らせなければならない。
ルナは、三人の思いが作り上げたスーパーコンピュータ『ルナ』は碇シンジのパートナーなのだから。
「逃げたっていいじゃないですか…」
「…………」
「逃げ出して何が悪いんですか! 全てに立ち向かえるほど人は強くありません。特にマスターは…」
「ルナ…?」
「マスタ―は…優しすぎるから…もしもマスタ―を悪く言うものがいるならば私はその人を許しません! 同じ立場にあわせてでもその孤独を教えてやります!」
相手の痛みを分かろうとしないものは、いつまでたっても気持ちなんか分からない。
同じ様に、同じ立場にたたない限り、相手の辛さを分かることなんてできない。
「でも…でも…!」
ルナは気持ちをぶつけ続ける。
「カヲル様とレイ様が、お二人がいなくなったときに言った言葉は嘘だったんですか!?」
「……っ!!」
忘れない、生涯忘れないであろう二人との別れ。
あの時の言葉は嘘ではない。
『絶対に過去へ戻って二人を助け出して見せる! 何があっても、絶対に!』
『すべてのものから僕は守って見せる。つける存在からからも…悲しみからも! だから…だから…!』
嘘な訳が無い。
あの気持ちは魂の叫び、まちがいなく本心。
「嘘じゃない…あの時に誓った言葉は僕の本心だ!」
「そうです、マスターの言った言葉は偽りなく本心なんです。だから、その気持ちを素直に信じてください」
「ルナ……」
その気持ちをルナは聞きたかった。
忘れえぬ思いはあるのだから。
「それでこそ私のマスターです」
涙が出そうになりそうな顔を無理やり笑顔に変える。
シンジの気持ちは…思いは固まった。
例え逃避だとしても、どう思われようとも自分のわがままを通す。
守るべき人たちのために。
翌日。
全ての準備は整う。
ルナのシステムは全て停止させた。
メインメモリーと小型化された記憶媒体を抜き取り、荷物へと入れる。
これでこの世界には何も存在しなくなった。
自分という存在を最後にこの星からは生物が消える。
そう思うと不思議と寂しくなる。
こんな世界でも自分が生まれ育ったところなのだから。
「さよなら…」
服に据え付けている小型の歪曲場を発生させ体を覆う。
同時に全身へと意識を集中させ、細胞の一個まで感じ取る。
細胞一つ一つに呼びかけ、劣化を防ぐ。
(あの世界へ…まだ終局を知らないあの世界へ僕を連れて行け! 時は2013年、これから会うだろう僕のところへ!)
内なる力に呼びかけ、光が少年を覆う。
光がより強く輝き、弾けた時、少年は旅立った。
2019年、少年は2013年の過去へと回帰する。
その世界は本当に過去なのか、それともパラレルワールドなのかは分からない。
だが、少年は願った『大切な人たちを守りたい』と。
思いは少年を導いた。
これが少年にとって本当の始まり。
『終局からのはじまり』なのだ。
第一部 了
BACK INDEX NEXT