終局からのはじまり



第弐部


第漆話 新たなる未来へ向けて








 混沌のような世界。
 今の自分がいる時空間をそう感じた。
 いや、この場合混沌という言葉は間違っているのかもしれない。
 混沌というものは言葉で表現できる存在ではないのだから。
 それでも本能的にこの感じを混沌だと判断した。
 何も区別ができず、状況が分からない。
 時間の流れさえも。
 流されるままの意識に必死に抵抗をし、ひたすらにシンジは願う。
(僕を連れて行くんだ…過去へ…!)
 守るために、未来を作るために。
 そのために全てを尽くした。
 永遠に近い時間の中、シンジの中に明確な映像ビジョンが浮かび上がる。
(そこへ、行くんだ!)
 瞬間、意識が弾け光に満たされたような気がした。










(風を…感じる…)
 頬を撫でていく風がひどく心地いい。
 心地よさに身を包まれながら、目を開ける。
 目の前に広がる建物。
 それはとても懐かしい風景だった。

 バサバサッ

 頭上から聞こえてくる音に反射的に顔を向ける。
 空を羽ばたいてる雀。
 音の正体はそれだった。
「あっ……」
 雀の姿を確認した時、瞳から涙がこぼれた。
 悲しかったからではなく、嬉しかったから。
 3年ぶりにみる生物の姿。
 それはここが自分の目指した世界であることを証明していた。
「戻ってこれたんだ……」
 流れ落ちる涙をぬぐいもせずに空を見続ける。
 不思議な昂揚感が体を包んでいた。
 視線を元に戻すと心を落ち着け、耳を澄ませる。
 人のざわめきが、車からだされる音が静かに耳に伝わってきた。
 これこそが本来あるべき世界なのだ。
 シンジはそう思う。
 だが、いつまでも感慨に耽っている場合ではない。
 これからやれなければならないことはたくさんあるのだ。
 自分の存在を示す身分や戸籍も必要となる。
 住居などもだ。
 そのためにはルナの力を借りるのが一番手早かった。
 存在しない人物を作るためにはやらなければいけないことが多い。
「ルナをもう一度構築しないとなぁ」
 メモリーも記憶媒体もあるがそれを生かす機械がない。
 協力者がいない以上、組み立て直すには時間をかける必要があった。
 およそ一ヶ月。
 それを目指し、シンジは動き出した。



 一ヵ月後。
「やっぱり僕は抜けてるんだよね…」
 キーボードをかたかたと打ちながら愚痴をもらす。
 あの後、すぐに行動を開始しようと思ったが思わぬことに気づいてしまった。
 ―――お金がない。
 これがなければ今日の生活さえ危うかった。
 戻ってきてそうそう餓死なんて洒落にならない。
 なくなく簡単な身分を偽造し、お金を借りることになった。
 必要な資金を手に入れると、それを株へと投資する。
 株の先行きが分かっているため、すぐに元手は取り戻すことができた。
 自分の知らない株の先行きにならないことを、このときはひたすらに願っていたのを思い出す。
 借金地獄なんかにはなりたくないのだから。
 しかし、シンジの心配とはよそに順調に進む。
 必要だと思われる金額は手に入れることができた。
 そして、現在にいたる。
「これでようやくルナも元通りっと」
 Enterボタンを押してシステムを起動させる。
 お馴染みの起動シークエンスが聞こえ、さまざまなシステムが起動し始めた。
 映像が立体化し、ルナがその姿をあらわす。
「おはよーございます、マスタ〜〜」
 笑顔を浮かべながら嬉しそうに抱きついてくる。
 その様子にシンジの緊張感が一気に抜けた。
 もちろん自分一人で物事を進めなくてもよくなるということもあるが。
「おはよう、ルナ。本当に久しぶりって感じがするよ」
 体を離して、頭を撫でる。
 それだけでルナは目を細めて大人しくなってしまう。
 なんだか猫のようだとシンジはいつも思い、見つめる。
 馴れ合いの時間はさっさと終わらせ、シンジは早速次の目的へと移行しはじめた。
「早速だけどルナ、あの計画書をまとめるよ」
「もうはじめるんですか?」
「早いにこしたことはないだろ。今後のことも楽にできるし」
 意味深な笑顔を浮かべて、画面へと向かう。
「それじゃあ、やろうか?」
 未来へ向けての第一歩が動き始めた。






 NERV本部司令室

 この部屋は無駄に広いのが目に付く。
 いかにも日本のお偉いさんの象徴だといわんばかりだ。
 なかでは二人の人物が計画の遂行を話し合っていた。
「零号機のほうは順調だ。レイのシンクロも順調に上がってきている」
 赤いサングラスをかけ、髭を生やした男が傍らに立った初老の男が何の感情も込めずに呟く。
「これで計画が遂行できるということだな」
 さほど気にせず、受け答えをする。
「ああ。もうすぐシンジをこちらに呼ぶ。これでようやくユイに逢うことができる」
 視線が遠くを見ている。
 碇ユイにもう一度逢う。
 ただそれだけのために今日まで生きてきた。
 そのためならいかなる犠牲も問わないのだ。
 この二人―――碇ゲンドウと冬月コウゾウは。
 二人が再び口を開こうとすると、突然扉が開いた。
 驚きに冬月は目を見開く。
「誰かね?」
 丁寧な口調だが、いつでも銃をとりだす用意はしていた。
 無断で司令室に入ってくるような人物はこの世界においていない。
 それに司令室には簡単に侵入できないように高いロックがかかっている。
 MAGIの能力を用いた最高ランクのものをだ。
 だが、いとも簡単に目の前の人物はそれをこえてきた。
 腰まで伸びる銀髪に紅い瞳、細い体つきの女性。
 レイに慣れているとはいえ、そうはいない姿だった。
「懐にしまっている手を外してはくれないでしょうか?」
 透き通るような声が冬月に向かう。
 一瞬ひるむが、すぐに従うほどおろかでない。
「無断で入ってくるような人物には当たり前だと思うが?」
 当然の指摘に女性はかすかに笑みを浮かべ、謝罪の言葉を出した。
「申し訳ありません、正規の手続きをとるには時間がかかりすぎたので、このような手段を取らしてもらったんです」
「ほう、なぜかな?」
「お二人に提供したいことがありましたので」
 冬月にだけ向けていた視線をゲンドウにも向ける。
 疑惑の目を向けてくる二人に気分を害した様子を見せず、女性は言い放った。
「碇ユイをサルベージしたいと思いませんか?」






 女性が立ち去った後、張り詰めていた緊張感が解けた。
 ゲンドウはいつもどおりの様子に見えたが内心は戸惑っていた。
「碇、あのイリアという女性の言うことを信じるのか?」
 冬月は何か言葉を発せずに入られなかった。
 イリアが言ってきたことは、今まで練ってきた計画を破綻させてしまうことを意味する。
 だが、同時に望むものを手に入れることもできるのだ。
 信頼するにはあまりに情報が少なすぎた。
「この書類を見た限りでは実行可能だ」
「しかし、本当に成功するとは限らないのだぞ」
「その時はあの女性を抹殺し、補完計画をまた進めればいいだけだ」
 口元にゆがんだ笑みを浮かべる。
 いかにゲンドウが冷酷かが伺えた。
 呆れた様子をもちながら、冬月は女性の言ったことを思い出していた。



「私の名前はイリア・ジーナスと申します」
 優雅な動作で頭を下げる。
「それより先程言ったことはどういうことだ」
 組んだ手で表情を隠したままゲンドウが言い放つ。
 聞くというよりまるで話せという感じだ。
「額面どおりに受け取ってください。碇ユイを取り戻すことはあなた方の願いであるのでしょう?」
「何を言っているのか分からないのだが?」
 信用できない。
 ゲンドウは目の前の女性が自分の目的を知っていることに疑問をもっていた。
 ゼーレからの何かしらの警告かとも思う。
 うかつにぼろを出すわけにはいかなかった。
「隠しても無駄ですわ。私はすべてを知っていますから」
 バックに手を入れて、一つの書類を取り出す。
 それをデスクの前に広げて二人の視界へと入れた。
 目を通すにつれて二人の顔色が変わっていく。
 碇ユイが初号機に取り込まれたデータからゼーレの内部にいたるまでの情報。
 そして幹部たちの情報が事細かに書かれている。
 偽者の情報とも思われたが内容は全て真実だった。
「これでもまだ信じてはくれませんか?」
 優しさをこめた言葉だが、脅迫ともとれる。
 これを公表されたら、自分たちは甚大な被害を受けることになるからだ。
「何が望みだ?」
「私は碇ユイのサルベージをしたいだけです。あなた方にとって有益なことでしょう? 何を迷う必要があるのですか?」
 冬月の眉が寄る。
 確かにその通りだが、彼女に何のメリットがあるのか分からなかった。
 危険を冒してまでするには何か見返りを求めるはず。
 それがなく善意だけでするにはあまりにも怪しい。
 イリアが冬月の視線に気づく。
 彼女も冬月の考えていることは予想できていた。
 少しの間思案を巡らせる。
 そして思いついたように手をぽんと叩いた。
「それでは、碇シンジを知人に預けさせてはくれないでしょうか?」
「なんだと!?」
 声を荒げる。
 二人にとってシンジは計画のために重要な人物だ。
 そう簡単には渡すことなどできない。
 しかし、それさえも彼女は見透かしていた。
「碇ユイをサルベージした成功報酬でかまいません。これならいかがですか?」
 ここまで言われては黙るしかない。
 二人の様子をイリアは了承と受け取り、満足げにする。
「それでは、一週間後にまた来ます。それまでに赤木リツコ博士にも話しておいてください。サルベージの際には彼女にもいてもらったほうがいいですから。では、失礼します」
 一礼をすると、その場から立ち去る。
 が、足を止めると、思い出したように言葉を付け足した。
「その書類は好きにしてください。代わりはいくらでもありますから」
 固まる二人をよそにイリアはその場から姿を消した。
 しかし、二人とて無能ではない。
 すぐに諜報部に連絡させるとイリアの後を追うように指示する。
 二人の表情は困惑に埋め尽くされていた。



 冬月が回想に耽っていると携帯から連絡が入る。
「何だ」
「申し訳ありません、目標を見失いました」
「な!?」
 絶句する。
 諜報部は超一流とは呼べないがそれなりの人物はそろっている。
 素人相手に撒かれることなどありはしなかった。
 つまりそれは彼女がそれ以上だということを表しているのだ。
 ますますイリアという人物に対して危険性を感じる。
 諜報部へと撤収の命令をかけると、ため息をつきながら携帯をしまう。
 隣にいるゲンドウに目を向けながら、冬月は思案をめぐらせるのだった。






 一時間後、ゲンドウは赤木リツコを呼び出した。
 もちろん、サルベージ計画を説明するためにだ。
「赤木博士、一週間後に碇ユイのサルベージを行うことになった」
「は?」
 間の抜けた返事をしてしまう。
 いきなりこんなことを言われたら誰だってそうだろう。
 それに失敗したサルベージ計画を、今更やったところで結果は見えているのだ。
「ですが、司令…どうして今になって?」
「協力者が現れた」
「協力者?」
「そうだ。その実力は君以上にある人物だ。あの時は失敗に終わったが、今回は成功させられることができる」
 自分以上の実力の人物といわれてショックを受けるが、それ以上にユイに戻ってきてほしくなかった。
 今戻ってこられては、ゲンドウの心が自分から離れてしまう。
 いや、必要とさえされなくなってしまう。
 それだけは避けたかった。
「けど…!」
「何か問題があるのか?」
「…………」
 抗議の声をあっさりとゲンドウは遮る。
 これ以上この話題を続けることは許さないといった感じを受ける。
 ゲンドウの言うようにやめる理由はない。
 自分の気持ちを知っていながら、平然と言い放つ目の前の男が憎かった。
 だが、悔しさに苛まれながらもリツコは従うことしかできない。
「……分かりました」
 内面に渦巻く思いを押さえつけながら、リツコは司令室を後にした。
(成功なんかしなければいい……!)
 深い闇が差し込み始めている。



 一週間後

 ネルフではイリアに指定された通りの準備が進められていた。
 メンバーはゲンドウ、冬月、リツコ、ミサト、マヤ、マコト、シゲル。
 極秘でのサルベージ計画となっている。
 トップの三人以外は事情をまるで知らなかったが、リツコの口から説明がされた。
 初のシンクロ実験で取り込まれてしまったゲンドウの妻、ユイをサルベージすると。
 意外な事実に4人は驚いたが、有無を言わさないトップの態度に納得せざるえなかった。
 それぞれの思いとは別に時が迫る。
 指定時刻が迫ると、イリアがその姿をあらわした。
「お初にお目にかかる方がいますね、イリア・ジーネスといいます。この計画の発案及び責任者です。さっそくですがサルベージを行います」
 自己紹介を済ませると、ノートパソコンを取り出しMAGIに接続する。
 手早く操作するとどこかへとアクセスをはじめた。
「それは?」
 好奇心に負けてマヤが尋ねる。
 操作を終えるとイリアはそれに笑顔で答えた。
「今回は専用のコンピュータを用います。このためだけに作りましたから、サルベージ関してはMAGIより上の性能をもっています」
 へぇ〜とマヤは羨望のまなざしを浮かべる。
 MAGI以上の性能というところに感心したのだろう。
 この時代においてMAGIを超えるものなど存在しないと思っていたのだから。
「はじめますよ」
 それを合図に計画はスタートした。



 皆の視線が初号機と計器に注がれる。
 その様子を見ながらイリアは別のことをじっと考えていた。
 碇ユイは初のシンクロ実験を試みた。
 それはシンジたちと違い、近親者の魂を中継してのものではなく、直接シンクロするもの。
 近親者や愛情を与えるものの魂を使うことを嫌い、デジタルの魂を作ることができない結果、ユイは自らがシンクロすることにした。
 ダイレクトシンクロが成功する可能性は数%。
 実際はもっと少なかったかもしれない。
 それでもユイはその可能性にかけることにした。
 これからくるであろう使徒という存在と戦うためには、エヴァの力は必要なのだから。
 そして、息子であるシンジに未来を残すために。
 だが、その意思をもってしてもシンクロに成功することには敵わなかった。
 所詮人の意思だけで制御するには無理がありすぎたのだ。
 逆にエヴァへと取り込まれ、自我境界線を越える。
 焦ったゲンドウはユイを取り戻すためにサルベージを決意した。
 サルベージは成功するかと思われたが、サルベージされたのは別の存在だった。
 リリスの魂とユイの魂と肉体の一部が混ざった存在―――それは後に綾波レイと名付けられる。
 なぜユイは戻ってこなかったのか?
 その理由はユイの意思だろう。
 意識をなくす瞬間失敗を悟ったユイは、後に乗る誰かのために残ることを決意した。
 ダイレクトシンクロの危険性は自分で証明されたため、今後は行われない。
 シンクロの手助けをするために残ることにしたのだ。
 その初号機にシンジが乗ることになったのは悲劇ともいえるが。
 そのユイの意思とは関係なくサルベージを決行した結果、失敗に終わってしまったのだ。
 先程いったようにリリスとユイの一部だけが戻ってきた。
 今回はその点をイリアは考慮に入れている。
 碇ユイに呼びかければいいのだ。
 碇ユイには意識はないが、本能的に危険などを察知している。
 だからシンジが危険にあうとき、暴走していた。
 その点を考え、もう使徒との戦いは終わったということを認識させてやる。
 エヴァの必要性がなくなれば、彼女も戻ってくるからだ。
 従来のデジタル処理ではそれを伝えることは無理だったが、イリアの手によって作られたコンピュータではそれを実現した。
 そのためだけのコンピュータなのだから。
 平和であることを伝え、ゲンドウとシンジが戻ってくることを望んでいると認識させれば、ユイは戻ってくる。
 見捨てるほど非常な女性ではないのだから。
 最も身近な家族を守るためにその身を危険に投じまでした人物なのだ。
 だから、これは成功させられる。
 そこには確信があった。
 期待が高まる中、何も変化が起こらなかった計器に反応が出始める。
 何回にも分けた信号を送り続けたが拒絶反応は起こらない。
 自我境界線もプラス方向に向かっていった。
「プラグ内に反応が出始めました。」
 淡々とイリアは事実を述べる。
 LCLに満たされたプラグにうっすらと何かが形をとり始める。
 しだいに、しだいに形がはっきりとしていく。
 そして、一人の女性が形をあらわした。
「ユイ!」
 ゲンドウがモニターで確認をすると、素早くプラグに向かう。
 「イグジットします」
 行動にあわせてLCLを排出する。
 流れるようにして出てくるユイをゲンドウは両手で受け止めた。
 そして、嬉しさに涙を流す。
 日ごろ冷静沈着なゲンドウが、これほど取り乱したのは全員はじめて見た。
 この感動的な光景にマヤやシゲルもつられて涙を流す。
 冬月やミサトやマコトも感動を受けていた。
 唯一快く思っていないのはリツコだけ。
 失敗を願ったが結局は成功となってしまった。
 忌々しげにゲンドウとユイを睨む。
 だが、どこかで諦めの気持ちもあった。
 報われない思いをいつまでももっていても仕方ないのだと。
 ユイの登場はリツコにとってゲンドウとの決別のきっかけとなった。
 今はまだ整理することも納得することもできない。
 今は……まだ。






 サルベージされたユイは病室へと移された。
 付き添うようにしてゲンドウも一緒に行っている。
 イリアの説明によると、長い間意識を失っていたために意識が戻るのは一週間ほどかかるらしい。
 ゲンドウに話をするのは無理だと判断し、イリアは冬月を掴まえて司令室にいくことにした。
「約束の通り、成功報酬は用意していただけましたか?」
「もちろんだとも」
 シンジを受け渡す書類と黒いケースがデスクの上に置かれている。
 書類を確認すると、そこにはゲンドウの手書きによる記載が確かにあった。
「しかし、このケースに入っている5千万はどうする気だ? 成功報酬の一部ということかね」
 前には言われなかった報酬も含まれていることに冬月は疑問をもつ。
 だが、ユイが戻ってくることに比べたら安いものだ。
 イリアは金額を確認しながら理由を話す。
「このお金は碇シンジを引き取るために必要になります」
「どうしてかね」
「調べましたが、預けている人たちはお金のために碇シンジを預かっているようですね。もし私の知人が引き取れば、養育費が振り込まれなくなるために抵抗するでしょう。だからこの5千万を払うんです。金の亡者にはお金を抱き込ませるのが一番です」
 これには冬月も納得する。
 間違いなくあの二人は大金のためにシンジを譲るだろう。
 面倒な世話の必要もなくなる。
 まさしく一石二鳥だ。
 感心していると、イリアがバックを開け一つのディスクを渡してきた。
「これは?」
 突然の行動に戸惑う。
「新しいシンクロシステムのデータです。碇シンジを乗せることができなくなっては困るのでしょう? 碇ユイを介さずにシンクロできるように私が考案しました」
 驚かされてばかりだと冬月は思う。
 先の先を見越した上で目の前の女性は行動していた。
 好奇心がだんだんと出てくる。
「どういったシステムなのかね?」
「え〜と、簡単に言わせてもらいます。今までのエヴァには肉親を介してシンクロしていましたね。零号機には一人目のレイ、初号機には碇ユイ、二号機には惣流・キョウコ・ツェッペリンというふうに。デジタルの魂を作れないために、本物の魂をコアにしていました」
 特S級の情報ばかりだが、もう驚きはしなかった。
 むしろ関心のほうが高い。
 静かに聞く様子に気をよくし、イリアは続ける。
「あの頃は技術がないためにデジタルの魂はできませんでしたが、今は私が作り出すことに成功しました。これにより本人に合わせた親和性を出すことができるので、より高いシンクロを実現させることができます。難しく言うともっと長いですけど、こんな感じです」
 にこにこしながら説明を終える。
 イリアの技術的な高さは認めるしかない。
 満足してこれ以上説明を聞くのはやめることにした。
「それではそろそろ帰らせてもらいますね」
 大金が入ったバッグを片腕で軽々と持ち上げるのには少しばかり驚いてしまった。
 荷物をまとめて出口へと向かう。
 が、また前回のように足をとめて振り向く。
「碇シンジを引き取るのは半年以上先になると思うので覚えておいてください」
「なぜそんな先なのかね」
「いろいろとこちらにも事情があるんです」
 困ったような表情をする。
 そして、また話を続けた。
「まだ言うことがありました。碇ユイが目覚めたら、碇シンジを連れ戻そうとすると思います。重要人物が固まるのは危険だということを理由にしてそれは拒否してください」
 イリアの意図はわからないが、言っていることは確かだった。
 テロや何かの集団に襲われた時に、トップとパイロットを同時に失っては甚大な被害となる。
 パイロットということを話さず、遠くにおいているほうが得策だろう。
「そういうことなので、お願いしますね」
 言いたいことを言ったようですっきりとした顔で出ていった。
 冬月は携帯を取り出し、諜報部へと連絡をする。
 撒かれるのは目に見えていたが、組織としては怪しい人物を放っておくわけにはいかない。
 恩人に対してはひどい仕打ちなのだが、体裁がある。
 ゼーレにも情報が流れているかもしれない。
 そのためにする必要があった。



 後ろをつけて来る存在をイリアは察知していた。
 建物の陰に隠れて様子をうかがう。
「無駄なんだけどね〜」
 そう言うと、彼女はその場から消えた。
 文字通り突然消え去ったのだった。






 あるマンションの一室。
 そこにイリアは姿をあらわした。
「ただいま〜」
 疲れたとばかりにソファーに腰掛ける。
「おかえりなさい、マスター」
 にこやかにルナが出迎えた。
 なぜここにルナがいるのだろうか?
 それはいたって簡単だ。
「それにしてもマスター、その格好似合ってますよ〜」
「それって厭味?」
「違いますよぉ〜」
 くすくすと笑う様子にちょっとむっとする。
「好きで女装しているわけじゃないんだよ?」
 反論すると、その場で服を脱ぎはじめる。
 その下には女性の象徴であるふくよかな胸がなかった。
 代わりに入っていたのは偽物の胸。
「こ、こんなところで脱がないでください!」
 外見の細さからは分からない逞しい胸板が目に入り、顔を赤らめながら視線をそらす。
「何で顔を赤らめているの?」
「マスターのせいです!」
 近づくたびに恥ずかしそうに距離をおく。
 ここまでの様子で分かるが、イリアはシンジが女装した姿だった。
 今の自分の姿をネルフに出すためにはいかないので、女装という姿で行くことにしたのだ。
 これでネルフはイリアという女性のほうに目を向けなければなくなる。
 後のことを考えての行動なのだ。
 嬉しい誤算だったのは女装が上手くいき過ぎたこと。
 まさか、ここまで変わるとはシンジもルナも思っていなかった。
 ルナをからかいながらシンジは次の行動に向けて考える。
 ユイをサルベージしたことによって歴史は大きく変わるだろう。
 そのためにもやらなければならないことがあった。
(甘さを捨てて非情さを手に入れなければならない)
 からかっている様子とは違い、内心は真面目だった。
 自らの手によって変えていく歴史のため、シンジはまた力を求める。



 終局を繰り返さないためにも。







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