このままでいい。


 僕は今のままでいい。


 自分で選んだ人生。




 僕は今幸せなはずだから。







かけがえのないあなたへ





第伍話 帰るべき場所








 リニアを経由して地上へと向かうシンジ。
 体は倦怠感に包まれていた。
 落ち着かない心を静めるために座席へと腰掛ける。
 思い出すは自分の言った言葉の数々。
 それは本意でもあり、また違うものでもあった。
 憎いとは言ったが殺してやりたいほど憎いわけではない。
 あの時は誰もが余裕がなかった。
 他人を気遣える余裕さえも。
 また、ネルフの大人たちばかりが悪いわけでもない。
 だからといって、全てを許せるわけでもないが。
 シンジの心にもう一つのしかかっているものがある。
 自らの手によって家族との絆を断ち切ったこと。
 ゲンドウはともかく、ユイに対して悪い印象をもっているわけではない。
 自分のことを家族として迎え入れてくれることは嬉しくもある。
 愛情のない生活を送ってきたシンジにとって家族とは憧れた対象であり、望むべきことだからだ。
 それを、その最後の一線を断ち切ってしまった。
 瞳から…涙がこぼれる。
 悲しみが静かに押し寄せていた。
 しかし、後悔はしていない。
 この満たされた世の中に、自分という存在はもう必要ないのだから。
 それぞれの幸せを見つけて今、罪悪感の対象となる自分は邪魔なだけだ。
 過去に縛られる必要はない。
 2年という時を経てもシンジはまだ優しすぎた。
 自分が傷ついても他人が幸せならばいい。
 それが世界を崩壊へと導いてしまった自分が出来る最後の罪滅ぼしなのだから。






 ゆらゆらと流れる風に身を任せてただ黙々と歩き続ける。
 迷える心を洗い流してくれるようでそれは心地いい。
 風とともに感傷を流し、帰るべき場所へと足を向ける。
 第二新東京市へと。
 数ヶ月前からふらりと立ち寄り、今は定住している。
 第三新東京市から近いということもあり、それがシンジ発見と至ってしまった。
 本人がそれを望んだのかもしれないが。
 彼を発見するのに2年という月日を要したのには訳がある。
 データがないという理由もあるがそれ以上に困難を極めたのが、シンジのことを覚えていないという事実。
 彼に近かった一部のネルフ関係者を除いて誰も覚えていなかった。
 世界中にある支部を含め、クラスメートさえも。
 それにはケンスケやトウジ、ヒカリも含まれる。
 世界中に捜索を出したときも、承諾すべき理由が認められなかった。
 彼らにとってチルドレンはレイとアスカだけであり、シンジの存在は記憶の中から消されている。
 碇ゲンドウの息子という事実さえも存在していない。
 ネルフ全てを動かしても見つけるに値する人物と認識されていないのだ。
 結局、日本におけるネルフだけの捜索となってしまう。
 だが、世界を転々としていたシンジを捜索するにはあまりにも規模が小さすぎた。
 第二新東京市で見つけられたのは幸運といえる。
 その都市のなかにごくありふれた喫茶店があった。
 店の名前は『アメシスト』
 宝石の名前だが、その由来は宝石言葉である『心の平和』からとったらしい。
 セカンドインパクトの混乱の中でも『心の平和』だけは持ち続けたいとのことだ。
「いらっしゃいませ…ってシンジか」
 入口を抜けると鬚を蓄えた人のよさそうな男性が声をかけてくる。
 客と勘違いしたらしい。
 言って損したとばかりにため息をつく様子に苦笑しながら、シンジはカウンターへと向かう。
「遅れてくるって言ったでしょ? ノブタカさん」
「ばかやろ、店の中ではマスターと呼べ、マスターと」
 今年で40を迎える檜山ノブタカ、なかなかこだわりを持っているらしい。
 それを知っていて言うシンジもシンジだが。
「はいはい、マスター」
 内側に仕舞ってあるエプロンを取り出し、慣れた動作で身につける。
 その様子がさまになっているのは長年の主夫の悲しさか。
 纏う雰囲気と相まってよく似合っていた。
 シンジの用意を傍らで見ながらノブタカは安堵のため息を漏らす。
 この時間帯は学校帰りの生徒が多く来るため、一人でこなすのは手に余る。
 シンジの手伝いは必須なのだ。
 そんなことを考えていると、予想通り娘を含めた何人かの客が現れる。
「ただいま〜シンジさん」
「おかえり、ユミちゃん」
「おいおい、俺には挨拶がないのか?」
「べつにいいじゃない…お父さん」
 年頃の娘の態度に悲しそうな素振りを見せる。
 見慣れたものにとっては、ただの漫才にしか見えない。
 ノブタカの娘ユミは現在15歳。
 父親よりも年の近い異性をとる年齢でもある。
 他の同級生もシンジ目当てで来るのも数多い。
 頼りになるお兄さんとして、この辺ではなかなか有名になっていた。
 またかわいい娘に男を近寄らせないために、男のアルバイトをとらないノブタカがはじめて雇った男性でもある。
 それだけの人物だと信頼されているのだろう。
 とりわけ美形でもないが、物珍しい容姿と雰囲気が人を惹きつける。
 休憩時間の合間に外をぼうっと眺める様子はひどく大人びていた。
 同世代には感じられない深みと、哀愁を漂わせる。
 だが、大人びているというよりは何かを諦めているという感じのほうが多かった。
 その様子がまた人を惹きつける結果となる。
「ほらお父さん、ぼうっとしてないで飲み物の準備をする!」
「わかってるよ」
 ユミに促され、しぶしぶ注文の品を作り出す。
 シンジは手伝いながら親子の様子を微笑ましく見ていた。
 どこか羨望のまなざしで。
 あの時ユイの言うとおり家族として加わってもこうはいかないだろうとシンジは思う。
 家族云々より、今までの愛情を注げなかったという罪悪感が先走ってしまうはず。
 それは自然なものではなく、家族としては不自然なもの。
 そんな関係は望んでいなかった。
 だからこのままでいい、そうシンジは思っている。
「ほら持っていけ!」
 注文の品をトレイに乗せながら片手で器用に運ぶ。
「お待たせしました」
 危なげなく目的のテーブルへと移動し、お決まりの台詞を言いながら丁寧に品を置く。
「ごゆっくり」
「ありがと、シンジさん」
 ユミの礼に笑顔で答えるとカウンターへと戻る。
 友達同士の語らいを遠めで見ながらシンジは過去を思い出す。
 中学生だったあの頃を。
 目の前に移る彼女たちのようにかつては自分も同じ様なことをしていた。
 今はその友さえもいなくなってしまったが。
 優しく流れる雰囲気に身を任せ、シンジはただ彼女たちを見続けていた。






 営業時間を終え、店はうって変わって静けさを宿している。
 店内の清掃も終わり、シンジはユミと一緒に夕食の準備をしていた。
「ユミちゃん、コショウとって」
「は〜い」
 決して高くない背を爪先立ちで伸ばしながらコショウをつかむ。
 もう少し低いとこに置けばいいのにと思うが、ノブタカの届きやすい位置においてあるのだ。
 キッチンに立つのがノブタカの方が多いかららしい。
 シンジにとっても届きやすいから気にしたことは今までなかった。
 が、シンジが作るようになってからユミも手伝うようになり、ちょっとだけ気にするようになる。
 ほんとにちょっとだが。
「俺の時には手伝いもしないくせになぁ……」
 ビールを片手にぼそっとノブタカが呟く。
 ユミの耳はそれを逃さない。
「お父さんの手伝いしても得がないもん。それより、食事の前にビールを飲まないでよ」
「いちいちうるせいなぁ。じゃあ、シンジの手伝いをしたら得があるっていうのかよ」
 娘に指摘されしぶしぶビールをテーブルに置く。
 その前に一気に飲み干したので意味はなかったが。
「あるよ〜、料理が出来るかわいい女の子をアピールできるもん」
 胸をそらしながら腰に手を添える。
 本人は威張っているつもりだが、いかんせん迫力が足りない。
 むしろその様子がとても可愛く見える。
「あ〜あ、ついにうちの娘も父親より男を取るのか。小さい頃は『お父さんと結婚する〜』とか言ってくれたのによぉ…お父さんは悲しいぞ!」
「いつの話を持ち出してるのよ。10年以上も前じゃない。」
「かわいくねぇなぁ」
「どうせかわいくなんかないわよ!」
 ぷいっとそっぽを向く。
 そんな様子が男二人の苦笑を誘った。
「ユミちゃんはかわいいよ」
 ぽんと頭に手を乗せて笑いかける。
 シンジに子供扱いされているようでちょっとムッとしたが、思い人に可愛いといわれて悪い気はしない。
 顔をほころばせて素直に喜びを表す。
「えへへ……」
「ったく親の前で見せつけてくれるな」
 そうは言うものの、顔は笑っている。
 シンジならいいと言う意思表示か。
 シンジとて、昔ほど鈍感ではない。
 サードインパクトの影響か人の心を敏感に感じ取れる。
 ユミは天真爛漫だが、寂しがりや。
 ノブタカは口は悪いが根は優しい。
 というように、会って一目で人物像を読み取る。
 それがいいことか悪いことかは分からない。
 しかし、シンジはそんなことは気にしていなかった。
 人間の本当の中身など、長い時を経なければ分からないのだから。
 出会いはどうあれ、ノブタカとユミには感謝している。
 ふらっと現れた自分を向かい入れてくれた。
 住み込みのバイトとして住居も与えてくれる。
 そして、家族の暖かさも。
 この生活がいつまでも続けばいい、それが今の彼の望みだった。








あとがきというなの戯言

O:50000HI〜ついにここまできたか。
S:おめでとう。
O:ありがとう〜今回はシンジ君の住居紹介だ。
S:喫茶店でバイトですか。
O:こういう仕事があってるね。事務仕事は書いててつまらんし。
S:なんか僕がすごくいい人みたいだけど?
O:すれてないし、ひねくれてもいない。
  ちょっと人生諦めている節があるけど。
S:僕若いのに…
O:苦労したからこそ、分かるものもまたある。
  それにユミともなんかいい感じ?
S:あの二人に殺されそうな予感が…
O:次あたり出るかもね……修羅場?
S:嫌だ〜
O:それもまた人生だよ…うんうん。



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