L総指揮の下、犯人逮捕へ向け日米が力を尽くしたが、あえなく作戦は失敗した。
 失望感の垂れこめる発令室で、ニアはひとり平然としていた。こうなる事態を予期しなかったわけではないからだ。
 受話器に口を寄せ、ひどくつまらなさそうに言う。
「L、結局あなたは何もできなかった。ノートをみすみす犯人の手に渡し、奪還の策すら考えつかない状況です。もはや、あなたは無能だと判断せざるをえない」
「一朝一夕に思いついた作戦など、私なら怖くて実行できませんが」
 そう反論するLの声は、さすがに自信をなくし、意気消沈していた。
「すぐれた戦術家とは、八十点の策をすぐに立案できる人間のことをいいます。たとえ満点であっても、考えるのに一週間かかるのではまったく意味がない。あなたはこの数年間、Lを引き継いでから、いったい何をしていたんです。キラの確保はおろか、特定すらできていない状況でしょう」
 忙しなく髪を指にからませながら、厳しい物言いで責めたてた。
 Lが苦しげに声をつまらせる。抗弁を捻りだしてくるより早く、ニアはさらに追い打ちをかけた。
「私はすでに犯人の目星をつけていますし、ノートを取り戻す策も頭にあります」
「八十点の策ですか」
「答案用紙に何も書かないあなたはゼロ点です」
「それで、その策というのは?」
「至って簡単ですよ。犯人グループの大部分を特定後、彼らの顔と名前を公表するといって脅しをかけます。キラによる制裁が始まって久しい現状、顔と名前が世に出ることは、死を意味します」
「有効だとは思いますが、組織の大半を割り出すことなど、できるんですか?」
「犯人の目星はついている、と言ったはずです」
「そうでしたね。心当たりがあるなら、こちらでも洗ってみます。名前を教えてください」
 ニアの細い指が、ダイスのひとつを拾い上げた。
 すでに彼の前には、ダイスでつくりあげられたビル街が広がっている。彼の手がさらにダイスを積み上げ、そのたび街は少しずつ拡大してゆく。ダイスが重なる音は冷たかった。
「それはあなたに教えたくありません。無能な人間に手がかりを渡して、それでなんになるでしょうか? 私たちに何かしら得るものがありますか」
 ここまであてこする必要はなかった。しかしニアのくちびるはひとりでに、辛辣な皮肉を吐き出してゆく。
 ニアは眼前のビル街から顔を上げた。視界の端に映るは、憎らしげに眉間を強ばらせている。Lと回線をつなぐあいだは、いつもこんなふうだった。
 なんとかニアを説き伏せられないものか、Lが必死で頭を働かせるのが、受話器から伝わってくる。
 ニアはそれを無視した。最後通牒であるかのように、はっきりとした口調で言い渡す。
「それではこれで」
「N、少し待って……」
 Lの声が途切れた。その上に銃声がかぶさったせいだ。
 ニアはめずらしく、すばやい動作で音のしたほうを振り返った。指先から力が抜け、ダイスが転がり落ちる。ビル街の一角がくずれると同じに、発令室のそこかしこで捜査官が倒れていった。
 ニアは室内に視線をめぐらせる。まず最初に無事を確認したのはだった。驚愕のあまり目を見開き、何が起こったのかすら理解できない様子だ。
 ほかに残っているのはレスター、ジェバンニにリドナー。ニアをふくめても、たった五人だった。
「どうしましたN!? いまの銃声は?」
「やられました」
 嘘を吐いたり、隠しても何にもならない。ニアは正直に現状を打ち明けた。
「SPKの大半……いや、もうこれは、全滅といって過言ではありません。おそらく犯人グループにノートの力で殺害されました」
「N、あなた以外全員が?」
「全滅といって過言ではない、と言った通りです」
 生存者の人数は伏せたかった。
「……N」
 Lの声から焦燥感が薄らいだ。突破口を見出したということだろう。
 ニアは面白くなさそうに口をつぐむ。
「さっきはずいぶん勇敢にふるまってましたが、これが現実です。死のノートというのはこういう、一切を超越した力なんです。あなただってこれ以上捜査員を犠牲にしたくはないでしょう」
「犠牲にしたのはL、あなたです」
「ではなぜ、私に指揮権を委譲したんです?」
 今度はニアが黙り込む番だった。さんざん無能呼ばわりしたLに舵を任せたのは、ノートが強奪されたとしても、そこからキラへ至る道筋を見つけられないか。そう考えたためにほかならない。
「言い争いは無意味です。私は私の知っていることを、あなたはあなたの知っていることを、互いに教えあいましょう。ノートの力はけして万能ではない。さまざまな規則が存在します。私たちはそれを把握しています。この情報はあなたもまだ手に入れていないでしょう?」
「……わかりました。情報を提供します。私が犯人の主犯と見るのは、通称メロ。ただしわかっているのは数年前までイギリスのワイミーズハウスという養護施設にいたことだけです」
「……了解しました。こちらの情報は、すぐに文書でお送りします」
 通話が切れるなり、ニアは半壊したビル街に受話器を投げ込んだ。四方八方にダイスが飛び散る。椅子に座り込んだまま、微動だにしない状態がしばらく続いた。やがて感情の読み取れない瞳で、周囲に集まっていた捜査員を見回した。
「ここにいる私たち以外は死んでいると見ていいでしょう」
 言葉を発する者はいない。皆一様にくちびるを結んでいる。
「ここを去りたい方はどうぞ、止めません」
 ほとんど間を置かず、真っ先にが口をきいた。
「私は残ります。最初にお話ししたとおりです。私は死ぬときまであなたの部下です」
 すでに覚悟を済ませた、悲壮な表情をしている。
「はい。ありがとうございます」
 笑顔ひとつ見せずに、ニアは感謝を伝えた。
 の宣言を皮切りに、皆次々と同意を表しはじめる。結局、ひとりも欠けることはなかった。
 椅子の上で膝を抱え込みながら、ニアの目はモニタのひとつに行き着いた。
、ジェバンニ。犯罪組織のリストアップを。そのどこかにおそらくメロが紛れ込んでいるはずです」
「はい」
 のジェバンニの返事がそろった。ふたりはすぐさま行動をはじめる。
「リドナーは日本捜査本部の動向に目を光らせておいてください」
「わかりました」
「レスター指揮官は……」
「ん?」
 発令室のあちこちに、言葉をなくした人々が散乱している。彼らは皆無念そうに、あるいは苦しげにうめきながら、絶命していった。
 ニアはめずらしく感情をあらわにした。悔しそうにくちびるを噛み、気落ちして睫毛を伏せる。だが沈み込んだのはほんの一時だった。すぐにまた顔を上げ、レスターを見据えた。
「皆さんの遺体を弔う手はずを」
「わかった」
 レスターが電話に手を伸ばしたのを確認し、ニアはまた視線を遊ばせる。屈めた背中を背もたれに預けると、手近なところにあったノートパソコンを引き寄せた。メロを知るのは自分だけだ。かつての彼の性格や行動様式を分析しつつ、どんな行動を取ったのか推測し、居場所を探る。人間の全容を把握するのは困難だ。それでもやるしかなかった。
 心底憧れ、目標だと仰いだLを殺害され、今度は戦友を犠牲にした。引けない理由がひとつ増えた。ただそれだけのことが、双肩に重くのしかかる。
 いままでの自分はまだ覚悟が足りなかったのか。そう感じてかぶりを振ったニアは、少しだけ自己嫌悪した。

 数週間後、全捜査員が努力を惜しまなかった成果により、アジトと思しき地点は数箇所のまで絞り込まれていた。
 ニアはひとり、衛星から送られてきた映像の映ったモニタを、じっとながめる。手元の玩具を構うのも忘れて、つぶさに観察し続けた。
「ニア」
 ふいに背後から声がかかった。レスターだ。
「もうすぐ昼食が届く。たまにはゆっくり食事をして、頭と目を休めたらどうだ?」
「お気遣いだけいただいておきます。皆さんはゆっくり召し上がってください」
 何を言っても無駄だと悟り、レスターは苦笑を浮かべて離れた。
 ニアは線の細い外見の割に、強靭な精神力を備えている。メンバーのうちで休息時間をもっとも削っているのは彼だった。そのくせほかの捜査員には休養をしっかり取るようすすめる。
「ただいま戻りました」
 が出かけ先から戻ってきた。嗜好品や飲料の入った紙袋を抱え、それとは別に油の臭いの立ち込めるビニール袋を下げている。買出しのついでに、全員分の昼食をファーストフード店で調達してきたのだ。
「大荷物だな。やはり、私が行くべきだったか」
 レスターはから紙袋を受け取り、代わりに奥まで運んだ。
「いえ、男性だけに全部任せるなんて、申し訳ありませんから、やらせてください」
「頑固だな、は」
 ジェバンニが横から笑い声を漏らした。
 発令室の隅には、テーブルとソファを備えたスペースがある。
 そこにハンバーガーやらドリンクやらを並べ終えたは、モニタから片時も目を離さずにいる、ニアの背後に近寄った。
「ニア」
「はい」
 彼は返事をするものの、振り返りはしない。
「少し休憩を挟んだほうがいいんじゃないですか?」
「私はここで食べます。皆さんは休憩してください」
 すでにテーブルを囲むレスターたちが、無駄だからそっとしておけと視線で伝えてくる。
 しかし、はあえて説得を続けた。
「休憩すれば、きっと効率も上がりますよ」
「普段どおりです。メンテナンスの必要はありません」
 メンテナンス。自分を機械にたとえるニアの言葉に、は悲しげな目を向けた。
「でも、私はニアと食べたいんです」
 反応はない。ニアは振り返ることはもちろん、今度は返事すらしなかった。
 少し干渉しすぎたか。そう反省し、はほかのメンバーの待つテーブルへ戻ろうとした。
 そんな彼女を引きとめたのは、ほかでもないニアだった。細い首をひねって、背後に顔の片側を向ける。
「本当ですか?」
「え?」
 突然の質問だった。は意味を呑み込めず、戸惑う。
「私と食べたいというのは、本当ですか?」
「え、ええ。もちろん」
「メンバー全員がそろわないと寂しいから、という理由でなく?」
 半ば詰問の調子で確認され、とっさに答えることができない。
 は答えに窮した。ニアの真剣な瞳が、適当にこの場をごまかすという選択肢を排してしまう。
 彼女は迷った末、自分の考えが正しく伝わるか危ぶみながら、思ったとおりに回答した。
「ニアは大切な仲間です」
 紙の色をした、ニアの頬がかすかに持ち上がった。笑みと呼ぶには弱々しすぎる、けれど無表情と呼ぶほど冷たくもない、そんな表情を浮かべる。
 彼の瞳には光の片鱗すら差し込まない。完全な暗闇だ。それゆえにがらんどうで、その中に途方のない巨大な空間を抱えている。真っ向から見つめあえば、の意識はたやすくとらわれてしまう。思考を掌握され、精査される錯覚を起こす。Lと視線を重ねたときと同じ感覚だった。
 Lの名を受け継ぐ少年は、Lと同じ目をしている。
 が冷静になろうと努めるうちに、ニアのほうから話を進めてきた。
「わかりました。一緒に食事しましょう。私も少し休みます」
「そうですか。それは、よかったです」
 そうなんとか笑みを返したものの、まだニアの顔を直視できない。いったい彼が何を考えているのか、にはさっぱりつかめなかった。
 一方、ニアのほうでも、自分を把握しきれず、困惑していた。なぜから誘われれば、食事に同伴する気になかったのか。自分が彼女を特別視しているのは明らかだが、その理由がはっきりしない。
 ニアはたどたどしい足取りで、一同が腰掛けるソファへ移った。

4
NextBack

▲Index ▲Noveltop