ニアがいつもの位置、メインパネルの前で車のミニチュアを走らせて遊んでいると、が声をかけてきた。緊張をはらんだくちぶりだ。
「ニア。Lから通信です」
「まわしてください」
 手近なところに転がっていた電話を拾い上げ、耳元へ押しあてる。
 何度聞いても耳になじまない、機械を通した声がした。
「ノートを奪還しました」
 そう勝利を宣言するLの顔は、誇らしげに眉を上げているにちがいなかった。
 ニアは適当に相槌を打ちつつ、胸裏に広がる動揺を懸命に抑えようとした。
 遡ること数週間前、米大統領がノートの恐怖を苦に自害した。短く記された遺書には、ノートを奪った犯人グループを捕らえるため兵を動かしたが、作戦は失敗。その責任を取る意味でも、先にのちの世へ発つとあった。
 がホワイトハウスに問い合わせた結果、大統領は死の直前Lに通信していたと判明。そうなれば、Lが作戦の立案に携わったと考えるのが自然だった。いったいどんな手段を使って、失敗から立ち上がり、ノートに手を届かせたのか。
「いったい、どうやったんです?」
「それを言う必要はありません。あなたがたもノートの行方を追跡していたでしょう。ですから一応、ノートが無事確保されたことだけはお教えしておこうと思いまして」
 髪の一筋をつまみながら、ニアは苛立たしげに電話を放り投げた。つまらなさそうに床を見たあとで、おもむろにのほうを向いた。
。通信をまわします。交渉はあなたの十八番ですね。頼みます」
「承知しました」
 レスターやジェバンニが不安そうに顔を曇らせた。いくらなんでも、こんな重要な場面で彼女に頼るのは、妥当な切り抜けかたとはいえなかった。
 しかしニアはひとり、固い自信にあふれた目をする。の緊迫した横顔を見つめながら、凛とした姿がきれいだと、不謹慎にもそう考えた。
「L。お待たせしました」
「あなたは?」
「ニアです」
「……声は同じでも、話しぶりでわかります。あなたはニアではありません」
「SPKはニアを中心に構成されています。であれば、ニア以外の者がニアを名乗ったとしても、そちらに不都合はないはずです」
「……いいでしょう。それで、なんです?」
 当然のようにLとしてふるまう電話越しの相手に、吐き気を覚えた。Lはこの世にたったひとりで、そして彼はもういない。
「L」
 どれほど愛をこめて呼んだかわからないLの名前を、いまは敵意をあらわに口にしている。
「いったいどうやってノートを奪還したんですか?」
「ですから、それをあなたがたに話す必要はありません」
「ご冗談を。先の作戦で大統領をも犠牲にしておきながら、それは通りませんよ」
「なんのことですか? 大統領が自殺されたことは、こちらも報道で知っていますが……」
「とぼけないでいただきたいものです。すでに調べはついています。大統領があなたを頼って、作戦の立案から指揮まで任せたのを私たちは把握しています」
 大半ははったりだ。証拠をつかんだ物言いをしているものの、実際にわかっているのは、大統領が死ぬ直前まで数回に渡ってLと通信していたことだけだ。
「……仮にそうであるとすれば、いったい何なんですか?」
 Lは明言を避けたものの、事実上大統領とのやりとりを認めた。この機を逃すまいと、いっそう言葉を鋭くする。
「L、あなたのせいで一国の元首の命が失われたと、そう公表してよろしいですか?」
「脅迫ですか?」
「どう思っていただいても構いません。SPKを統括する立場の人間として、大統領の死の真相すら知らされていない現状には、我慢なりませんからね」
 受話器の先に広がった沈黙を、容赦なく突き破った。語気を強めて、さらに言い募る。
「お話しいただけないなら、こちらでLの死亡を公表しますよ。Lがその権威を失えば、あなたがたはたちまち無力化します。Lでない一個人に、だれがキラの逮捕の希望を賭けるでしょうか?」
 あくまで強気にふるまうの手法に、レスターから戸惑いの声があがる。
「少し追いつめすぎでは……。通信を切られては元も子もない」
「いいえ」
 ニアはレスターの意見を一蹴する。
「あれで正しいんです。弱みを見せればつけ込まれるだけです。交渉なんてものは結局、圧力と譲歩の二通りしか道はありません。そしてそのふたつの使いどころを誤れば、即座に敗北する」
 二人が耳打ちしあう横で、は険しい目つきを”L”とだけ表示されたモニタに向ける。
 彼女はいままさに最後の仕上げに入るところだった。一際気迫をこめて畳みかける。恫喝とのそしりを受けてもやむをえないほど、強力な威圧感をはらんだ言い方だった。
「全世界に失態を晒すか、いまここで事の次第を吐露するか。あなたがたの道はふたつにひとつです。さあ、どうします」
「わかりました。可能な範囲でお話しします」
「辻褄の合わない点や、こちらの調査で虚偽と判明した場合、我々はもっともあなたがたに取って効果的な手段に出ますよ」
「お好きに。嘘は言いません」
 Lの話したところによると、概要は次の通りだ。
 キラから協力の申し出があり、その後ノートが送られてきた。ノートには組織の構成員、その大半の名前がすでに書き込まれており、変更は叶わなかった。以降は、キラに指示された通りのアジトに踏み込み、奪われたノートを押収。メロを逃がした上、多大なる人的被害を負ったものの、作戦自体は辛くも成功に終わった。
「よくやってくれました、
 交渉を終えたを、ニアがねぎらった。
 彼はが席を離れ、自分のほうへやってくるまで待ち、ほかの捜査員も周囲にいるのを確認してから、抑揚のないくちぶりで語りだした。
「いまのLの回答は、まったくもって要領をえません。というより、不自然すぎる。ありえないんです。キラの要求、指示に従い、ノートを回収。ここまでは筋が通っています。しかし、なぜキラはノートを自分の手に戻そうとしないんでしょうか? ノートの力を使えば、方法はいくらでもあります」
「キラが、日本捜査本部のメンバーの顔と名前を把握していなかったとは考えられないか? だから脅すにも脅せなかった……」
「じゃあどうやってキラは日本捜査本部に連絡を取ったんですか?」
 ニアはレスターを横目で見た。
「百歩譲ってメンバーの顔ないし名前を知らなかったとします。でも、知っているんだと言い張って、脅すことはいくらでもできます。初代Lや私でもあるまいし、生まれたときから本名を明かさず、写真を残さずに生きてきたなど考えられません。その気になれば、どこかしらのルートから入手できます。仮に困難を極めたとしても、そんなのは関係ありません。重要なのは、キラが日本捜査本部のメンバーを殺すことができると思わせることです。それができればノートは取り戻せます。それにノートが日本捜査本部に送られてきたということは、キラは本部の在り処を知っていたということです。崇拝者を動員して彼らを殺害するのはそう難しくない」
「そもそも、なぜ日本捜査本部のメンバーを生かしているのかしら」
「日本警察はキラに協力している、そう思い込んでいたからだろ?」
 のつぶやきに、ジェバンニはさも当然といいたげに応じた。
「それはないよ」
 彼女は間髪入れず否定した。
「日本捜査本部がノートを手にしていることを知っているんだから。キラを追わないと決めた組織が、どうしてノートの捜索、確保を行うの? キラは日本捜査本部が自分を追っていると、容易に考えつくはず」
の言うとおりです。二代目Lの辻褄の合わない説明、キラの不可解な行動、これらを総合すると、答えはおのずと見えてきます」
 言いながら、ニアは前髪の一筋をつまみあげた。そこからのぞいた額のまぶしさに、は思わず目を細める。みごとなまでに真っ白だった。
 彼女の視線の先で、ニアはほんの少しだけ頬を硬くした。
「キラと日本捜査本部は共謀している。……いえ、もっとスマートに考えれば、キラは二代目L」
「キラが二代目L!?」
 そう声に出して叫んだのはジェバンニ一人だったが、皆同じ感想を抱いているらしい。ただ一人、を除いて。彼女は気難しそうに顔をしかめ、黙り込んでいる。
 いったいどんな考えにとりつかれているのか、ニアには手に取るようにわかった。しかし敢えてこの場では口に出さず、代わりに話を押し進めた。
「半分以上勘なんですが。それでも調べてみる価値は十分あると思います」
「……しかし、もし日本捜査本部に、我々の動きが知れたらまずいことに」
「それならそれで好都合じゃありませんか。面と向かって尋問すればいいだけのことです」
「いや、だが」
 なかなか承知しようとしないレスターを、感情のない瞳で一瞥する。
「レスター指揮官。捜査というのは容疑者を仮定し、証拠が出て立証されればそれでいいんです」
「もし違っていたら?」
 今度口を開いたのは、リドナーだった。
 事実、ニアの言っているのは完全な見込み捜査だ。冷静かつ適切な判断を下しづらくなるデメリットは見過ごせない。
「そのときはごめんなさいを言うまでです」
 淡々としたくちぶりだ。
 呆れと困惑の入りまじった空気が流れる中、が真っ先に賛意を示した。
「そうですね、ニアのおっしゃる通りです。殺人ノートなんてえたいの知れないものを相手にしているんです。常識的な捜査方法では進展を期待できません」
 ニアへ注いでいた視線を、ほかのメンバーへ順々に向けていった。
 まずリドナーがうなずき、残りの二人もそれにならった。
 一転しては厳しい表情をつくり、ニアを振り返る。電灯を浴びた彼の髪が白銀にきらめき、彼女の視界にあふれた。
「では、これより総力を挙げて日本捜査本部を洗います」
 ふいに鳴り響いた電話の呼び出し音が、ニアの声に重なった。
 すぐにが駆け寄り、受話器を手にする。
「はい、少々お待ちください。……ニア、副大統領からです」
「まわしてください」
 ニアは手近な受話器を引き寄せ、髪の上から耳に押しあてた。
 まもなく、ところどころ震えた気弱そうな声が聞こえてくる。
「ニアか?」
「はい」
「……さきほどの臨時会議で、決定した事項をしらせるために電話した」
「はい、お聞きします」
「すべての捜査機関並びに公的機関における、キラの追跡および逮捕を目的とした活動を即時停止する旨の提案がなされ、国務長官以下主要閣僚がこれに賛同した」
「それは、キラを認めるということですか?」
「そういうわけではない。国としてキラを追わないという、ただそれだけのことだ」
 副大統領の声こそ聞こえないものの、ニアの応答からおおよその文脈を把握し、発令室のだれもが息を呑む。
 硬くなった空気を肌で感じながら、ニアは険をふくんだくちぶりで吐き捨てた。
「裁かれた犯罪者の中には、裁判でその罪が立証されるより早く、息絶えたものもいました。副大統領、これまで冤罪を被されたまま死んでいった者がいないと、言いきれますか?」
「それは、いまとなってはわからないことだ」
「もうひとつ。キラという一個人に、死刑を運用する権利がありますか?」
 現在、欧州のほとんどの国が死刑を廃止しており、米国や日本にも法改正を求める動きが少なくない。たとえ犯罪者でもその人命を奪う権利が国家にあるのかという、法哲学上の大問題に起因する論争が巻き起こったためだ。
 国家ですら慎重に扱わねばらならないこの権限を、一個人が行使することが許されるか否かとなれば、答えを得るのに議論する必要はなかった。
 副大統領は苦しげにあえぐ。
「私には、国を守る責任がある。キラを認めざるをえない」
「義務を放棄する指導者に、だれが信頼を寄せるでしょうか?」
「それは国民が決める。理解が得られなければ、私は政治の一線から身を引く。それだけのことだ」
「最後に。副大統領、人としての誇りが、ご自分に残っていると思いますか?」
 沈黙が生じた。かなり長い間、どちらの受話器も言葉を告げなかった。
 果たしてどう答えれば許されるのか、副大統領は彼なりに考えているのかもしれなかった。ためらいがちに、一語一語を噛み締めてつぶやきはじめる。
「人でないものに支配された世界で、私一人が人であり続けることはできない。だが、私には決して捨ててはならないものがある。政治家としての誇りだ。キラを認めるしか、国民を守る方法はない」
 ニアの返答は聞きたくないとばかり、電話は一方的に切れた。不通をしらせる規則的な電子音が、虚しさを煽る。
 ニアは苛立たしげに片眉をひそめ、横目でを見やる。
 彼女も自分のほうを見つめているのを確認してから、副大統領の用件を告げた。
「いましがた、臨時閣議でキラの容認が決まったそうです。あらゆる捜査機関が、キラから手を引きます」
「そんな……ばかな」
 レスターが無念そうにうめいた。
 リドナーも失望をあらわに肩を落とす。
「それじゃ、キラが殺人を繰り返すのを、黙って見ていると言うの?」
「いったい、僕たちはどうなるんだ」
 ジェバンニの漏らした何気ない一言に、捜査員一同が反応した。
 皆、顔を見合わせる。自分たちの末路など、とうに知れたことだった。
「解散、でしょうね」
 ニアはこともなげにつぶやいた。鈍い動作で立ち上がり、発令室から出て行こうとする。
「ニア」
 の呼びかけに、ニアは背中を向けたまま立ち止まった。軽く首を傾いで、耳のそばの髪を触るしぐさをしている。
「これから、どうしますか?」
「決まってるでしょう、キラを追い続けます。私は逆にあなたに聞いてみたいですね。SPKという組織を離れても、あなたは自分の信じた道を進みますか?」
「当然です」
 即答だった。そこには少しの迷いもない。憎悪と使命感に駆り立てられるがまま、ひたすら走り続ける。
 その一途さが、彼女自身を殺すことになるかもしれない。そう考えると息苦しさを感じて、ニアは喉元に手を押しあてた。だが努めて平静を装い、いつもどおりの返答を心がける。
「ではこれからもよろしくお願いします。……皆さん、よく考えて結論を出してください。もはやキラを追い続けたところで、世間は勇気ある行動とは認識してくれません。犯罪者として扱われるでしょう。それでもキラを追いたい、そうすることが正義だと確信できる者は残って、私に協力してください」
 答える声はない。しかし皆、すでに決意は固まっているようだった。いささかも怯むことのない、まっすぐな目をしている。
 仲間を失い、大義名分を奪われても、キラの統治する世界を受け入れない。それこそ人としての誇りと呼ぶべき志だった。

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