その日の晩、約束どおり丸井先輩からメッセージが来た。携帯ゲームをベッドに放り投げて、スマホを確認する。
「付き合って何ヶ月記念、とか、適当に理由つけて、レストラン誘うのはどうよ? ちょっと高めのところ連れて行ったら、向こうも察すると思うけど。で、ラブホ連れ込め」
 ホテルか……。俺も考えなかったわけではない。でも、雑誌でははじめては彼の部屋がいいって書いてるし……。やるためだけの部屋に連れ込むって、どうなんだろう。後、連れて行くまで俺の精神力がもつかどうかも怪しい。
 メッセージの文末には、丸井先輩が過去に使った横浜のレストランが掲載されていた。
 品数は多くないけど、一応コース仕立て。パンも食い放題……ってこれはどうでもいいか。
 海辺のホテルの敷地内にあって、海に張り出す形で建てられてるから、席によっては海が羨望できてロケーション抜群。各テーブルにはキャンドルライトが飾られるから、ムードは十分過ぎるくらい演出できる。
 いいじゃん!
 料金も諭吉と一葉一人ずつでお釣りが来るレベルみたいだ。これならお年玉の余力で手が届く。
 あとはどこに泊まるかだよな。レストランのあるホテルは、ヨット型の某有名ホテルだから、さすがに軍資金が及ばない。やっぱり丸井先輩がいうようにラブホしかねえのかな……。でもはじめてでそれはあんまりだよなぁ。
 悩みながら、とりあえず横浜のラブホ情報を検索する。
 結構あるんだな……。部屋の写真をながめてるうちに、うっかりムラムラしてきたので、また夜のランニングに出かけることにした。
 支度をして、タオルを首に下げて、いざ出発……しようとしたところで、リビングにいる母ちゃんに呼びつけられた。無視したら後が怖いので、素直に赴く。
「なんだよ、俺いまから走りに行くんだけど」
 母親がスマホを片手に、テーブルで何かをメモしていた。俺がきたので顔を上げる。
「いまねえ、仙台の伯父さんから電話があって、おじいさんが亡くなったんですって」
「伯父さんは知ってるけど、そのじいさんってだれ?」
「えーっとね、あんたからすれば、母さんの兄の奥さんのお父さん……ね」
「それほとんど関係ねえじゃん。ってか母ちゃんも関係ないんじゃ?」
「そうなんだけどね」
 母ちゃんは続けてメモを書き付けた。その死んだじいさんの住所だろうか。
「母ちゃんが父ちゃんと結婚するとき、結婚式にきてくれてね。ご祝儀も貰ってるのよ」
「へえ、そうなんだ」と俺は聞き流した。
「だから、母ちゃんと父ちゃん、明後日出かけるからね。仙台に日帰りなんて大変だから、向こうで一泊してくる。せっかくだし葬儀も出るから、帰りは次の日の早くて夕方かな」
 明後日って、土曜日じゃん。確かそのタイミングで姉ちゃんも地方のライブ見に行くって……泊りがけで。日曜の昼まで帰ってこないって言ってたはず。
「姉ちゃんも泊まりでどっか行くって言ってなかった?」
 母ちゃんも突然のことで忘れていたらしい。思い出してテーブルを叩く。
「そういえば、そんなこと言ってたわ。赤也も母ちゃんたちと来る?」
「いや、俺はいい」
 降って湧いたチャンスを見逃すわけがない。千載一遇とはまさにこのことだ。
 母ちゃんも、もう高校生になるでかい息子を無理に引っ張って行こうとはしない。交通費も一人分浮くし、まあいいか、くらいのもんだろう。あっさり「じゃ、留守番しといて」と言い、まだ仕事から帰らない親父にスマホのメッセージを送り始めた。
「じゃ、俺走ってくるから!」
 母ちゃんの返事を待たずに駆け出す。息が弾むのは走り始めたからではなかった。これくらいの距離なんか屁でもない。
 走りながらに送るメッセージをあれこれ考えた。だが上手くまとまらない。遅くに出てきたこともあって、あたりはもう真っ暗だ。
 暗闇が少しだけ俺を勇敢にした。歩道橋を駆け上がり、手すりに身を乗り出した。テールランプの列をながめながら、アプリを起動する。
 メッセージを送ろうとするから悩むんだ。通話してしまえば、話すしかなくなる。発信音はすぐに切れた。
「はい、です」
「遅くに悪い。話があってさ」
「どうしたの?」
「今週の土曜って暇?」
「昼は予定があるなぁ、友達とご飯行くから」
「それ、何時に終わる?」
「三時くらいかな」
 晩飯には十分、間に合う。
「じゃ、俺と晩飯食わない?」
 は「うーん」とつぶやき、即答しなかった。
「さすがに一日に二回も外食すると、お金が厳しいよ」
「金なら俺が出すから!」
 間を置かずに食い下がる。俺の必死さが伝わったのか、は戸惑った様子を見せた。
「いいよ、そんなの。悪いし」
「じ……実はさ、もうすぐ俺ら付き合って三ヶ月じゃん。お祝い出来たらな、なんて……」
 スマホの向こうに沈黙が広がる。悩んでいるのだと思って、俺は追撃をしかけた。
「いいレストラン、先輩から聞いたんだよ。めちゃくちゃおしゃれだぜ。こういうの、女子は好きだろ?」
「……三ヶ月、もう過ぎてるけどね」
 あれっ? まずった! 日付までちゃんと覚えてなかった。俺は素直に謝る。
「そ……そうだっけ。悪い、悪い」
「でも、嬉しい。男の子はそういうのまめなイメージないから」
 好感触だ。手ごたえを感じて、俺はひたすら押しまくった。が根負けして承諾する。
「そうまで赤也くんが言うなら、ごちそうになる。ありがとう」
 よっしゃ! 俺はその場で叫びたかったが、に聞こえたら恥ずかしいので、我慢した。なんとはなしに手すりの下の部分を足先で蹴りながら、話を続ける。
「で、さ。後出しなんだけど」
 こっからが重要だ。しかし、またしても臆病さが顔をのぞかせる。断られたら、どうしよう。下心に引かれたらどうしよう。山ほどのどうしようが俺の脳裏を埋め尽くし、思考をストップさせる。が「どうしたの?」とたずねてくる。どう切り出すか、事前に丸井先輩に聞いておけばよかった。一度電話を切ろうかと考え始める。
「赤也くん、何か悩んでる?」
 唐突にそんなことを聞かれて、俺は答えに詰まった。がなぜそう感じたかわからないので、迂闊には返事を出来ない。
 は心配そうに、言葉に迷いながら話す。
「お昼も上の空だったし、いきなりレストラン行こうとか言い出すし」
 後半は少し笑い声がまじっていた。重い話にならないよう気を遣ってくれている。
「私になんでも話してね。テニスのことはわからないと思うから、聞くことしかできないけど……」
 俺は何やってんだよ。に心配かけて。自分の欲望すら満足にコントロールできずに、言いたいことも言えずに。こんな俺を許して、愛してくれるに頭が上がらない思いだった。俺にはやっぱりまだ早いのかな……というふうに考えが傾いた。
 そうだよ、もっと成長して、大人の男になってから、改めて誘いを持ちかけよう。
 俺はに見えないのを承知で首を振った。
「いや、なんでもねえ! じゃ、明日四時、みなとみらい駅で待ち合わせな! 飯行く前に赤レンガでもぶらつこうぜ」
 はしばらく俺の様子をうかがっていたが、俺が話を終わらせたがってるのを察してうなずいた。約束だけ交わして通話を切る。
 俺はうなじを垂れた。口を開けば、あまりにも長いため息が漏れて、なかなか吐き出しきれないほどだった。なかなか気が静まらず、雑な手つきで髪を乱した。

 デート当日、ばっちり予約も完了して、俺はみなとみらい駅の改札を出た。十分前に着けば十分だろうと考えていたが、甘かった。のほうが先に来ていた。
 俺はあわてて駆け寄る。
「悪い、! 待たせた!」
 はおもむろに振り向いた。手を振って笑いかけてくる。
「私が早く着いちゃっただけだから。……赤也くん、なんか今日はすごいね」
 が上から下まで俺をながめた。ボルドーのニットに、ブラックのスキニーパンツ。上からキャメルのPコートを羽織り、首元にはネイビーのスヌードをつけた。あれ? いまいちだった? 俺的にはクローゼットひっくり返した、渾身のコーデだったんだけど。
「かっこいいよ」
 真正面から褒められて、照れくさくなってうつむく。
 は俺を見て、くすくすと笑った。そういうも、いつもよりかわいい。服も、メイクも。もしかしたら、のほうでもいつもよりおしゃれしてきてくれたのかと自惚れる。おそるおそる確かめてみた。
「そ……そういうのほうこそ、なんか、いつもよりいい感じじゃん」
 はその場でくるりと回った。三百六十度、すべての角度から見てほしいといわんばかりだった。
「気づいた? きょうはレストランにお呼ばれだからね、ちょっとがんばってみました」
 俺は感激のあまり、抱きつきそうになった。
 だが、腕を伸ばしたところで、はひょいと下がって逃げてしまう。困った様子でにらまれた。
「もう、駅前で何しようとしてるの! 早く行くよ」
「あ、待てって」
 俺はあわてて追いかける。赤レンガまでは少し歩く。冬の潮風が吹きつけた。だいぶ日が傾き、空にはすっかり朱が差していた。
 俺は風向きの側に立って、を守りながら歩いた。
「赤也くん、なんだか疲れてない?」
 ばれてる。実は今日のデートが楽しみで、昨晩あんまり寝れなかったんだよな。服決めるために、姿見の前でひとりファッションショー開催してたし。でも心配させたくないので、適当にごまかした。
 山下公園へ立ち寄ったり、赤レンガで雑貨を見たりして、時間を潰した。頃合いを見てレストランへ向かう。
 レストランはホテルのちょうど裏側にある。ホテルを通って行けるので、いったん中に入った。一階はチャペルと、その関連施設がメインだった。フロントは二階にあるらしい。
 俺はあらかじめフロアマップをスマートフォンで確認していたので、スムーズにを案内できた。
 ホテルを通り抜けると、予約したレストランが見えてきた。闇の溶けた海面に、煌々と光り輝くレストランが浮かぶ。
「すごーい」
 が感嘆の声をあげる。寒さを忘れた様子ではしゃいでいた。
「海上レストランなんだね。こんなおしゃれなところでご飯食べれるなんて、嬉しい」
 は声を弾ませながら、レストランの中に入っていった。
 あ、せっかくだからドアを開けてやって、レディーファーストを気取りたかったんだけど……まぁ、が喜んでくれてるし、なんでもいいか。
 気を取り直して、俺もの後に続いた。ウェイターが寄ってくる。名乗ると、すぐテーブルへ案内してくれた。もちろん海側の席だ。
「ありがとうございます」
 が椅子を引いたウェイターに礼を述べた。俺たちにそれぞれメニューが差し出される。
「はじめのお飲み物と、メインのお料理をお魚かお肉、どちらかお選びください」
 ドリンクは飲み放題だ。財布の具合を心配せずに頼める。アルコールを飲めないのが格好つかないけど、そこは仕方ない。ふたりともジンジャエールを注文した。
 メインの料理は、本音では肉を選びたかったんだけど、が魚にしたので、俺もそれにならった。
「きれい」
 がキャンドルライトを覗き込んだ。頬や額がうっすらと照らされる。そうして明かりをながめていたかと思えば、俺の背後に広がる海をながめる。うっとりとした表情で、瞳の中に港の光を閉じ込めた。
 俺はほほえましげに見つめていたが、自分でも気づかないうちに問いが口をついて出た。
「きょう、何時までいれる?」
「……え?」
「実は、今日、うち親いないんだよな」
 少しでも一緒に過ごしたかった。せっかく気合いを入れたデートなんだし。
「だから、何時まで一緒にいれるかなとも思って」
 はまた海をながめた。何かを考えている様子だ。門限は何時なんだろう。そんなに遅くまで連れまわしたことがないので、聞いてなかった。
 飲み物と、少しそれに遅れて料理が運ばれてきた。一品目はマグロの刺身を散らしたサラダだ。俺はすぐにフォークをつけようとして、に制された。
「まずは乾杯しよ」とたしなめられる。
 俺はいったんフォークをテーブルに戻した。
「乾杯」の声が重なり、グラスの鳴る音が続いた。まずは飲み物を一口。
 それからお待ちかねのサラダを口に運んだ。うーん、上品な味だな。皿の割りに盛られてる量も少ないし。こういうところの味のよさは、俺にはよくわからない。
「おいしい」とは感動した様子だったので、何よりだ。俺にとっていまいちでも、今日のデートはに喜んでもらうために企画したんだから、それさえ達成できればよかった。当初の目的からは脱線してるけど……。
「でも、赤也くん、大丈夫?」
 は茶化すようにたずねた。
「三ヶ月記念でこんなに尽くしてくれたら、来月のホワイトデー、俄然期待しちゃうな」
 あっ、まだもらってないから忘れてた! そういえば今月、バレンタインだ!
 俺は決まり悪くなってうつむいた。何もしないつもりはない。ないんだけど……今日より、いやぶっちゃけ、今日と同じハードルを課せられると、小遣いの前借りをして不渡りに陥る。
「え、えーっと……それは」
 やばい。こんなことならホワイトデーに企画するんだった。どうせ今日はもう部屋に連れて行くのは諦めたんだし。いやでも、誘うときは最後までいっちゃう気でいたからなぁ……。
 言葉に詰まる俺を見て、は笑い声をたてた。きれいに皿を空っぽにしている。
「冗談だよ。今日のがホワイトデーの前払いでいいよ」
「いやっ、それはなしだろ。ちゃんとホワイトデーはホワイトデーで渡すよ」
 俺があわてて否定すると、は心配そうに「そう?」と首を傾げた。
「ただ……今日と同じレベルは、ちょっと無理かも」
「こんな贅沢、癖になったらまずいよ」
 は笑いながらうなずいた。
 ウェイターが皿を下げ、豚のローストにインゲン豆を添えたメイン料理と、小さなパンがふたつずつ運ばれてきた。
 パンは食べ放題だと告げ、ウェイターは立ち去った。俺のグラスが空なのに気づいて、注文を促してくる。
 俺はまたジンジャエールを頼んだ。本当はコーラがいいんだけど、子どもっぽいからなぁ……。
「ねえ」
 俺が豚のローストをうまく切れずに四苦八苦してると、が声をかけてきた。のほうはすでにきれいに切り分け、フォークを刺している。俺、不器用なのかな。
「どうして、きょうはこんなによくしてくれたの?」
「……なんでって」
 俺はまた言葉に詰まった。ぎこちない手つきで、豚肉をフォークとナイフで力任せに引きちぎった。食器に当たって、ガチャガチャと音が響く。
 それでもは眉をひそめずに、じっと俺を見つめた。彼女の瞳の中に星が浮かんでいる。……キャンドルライトの明かりだ。
「三ヶ月、記念だから?」
 つい疑問調になってしまった。嘘をついたからだ。
 はふっと息をついた。ナイフとフォークを手放す。緊張した様子だ。
 が何かを言い出す気配を察して、俺も自然と背筋を伸ばした。パンに手を伸ばしちゃいけない空気なのは、かろうじて理解した。
「きょう、何時までいたらいいの?」
 いきなりの質問だった。
 俺は意味がわからずにフリーズする。ややあって、さっき門限を聞いたことへの回答なのだと気づけた。しかし、まだ納得がいかない。質問の意図はわかった。でも意味がさっぱりわからない。
 何時までいたらって……。それは俺が決めることじゃない。
「いや、なるべく長くいれたら嬉しいけどさ。でもの家の事情もあるだろうし、困らせたくないから……」
 は残ったジンジャエールを一気にあおった。とりあえず「いい飲みっぷりだな」と茶化しておく。他に言うべきことが見つからなかった。だが、の中ではまた解決しないらしく、視線は引き続き俺にまっすぐ注がれた。
「食べ終わったあとは、どうするの?」
 考えてなかった。正確には、家に連れ込むことしか考えてなかった。中止にした時点で、代わりのプランを用意しておくべきだった。まさか寒空の外を散歩するわけにもいかない。このあとの予定を必死で考えるが、なかなか浮かばない。よし、丸井先輩に相談だ!
「この後のプラン? ばっちり考えてるから、安心しとけよ!」
 とりあえずの嘘をつく。声が少し上ずったけど、ばれないだろう……。俺は「ちょっとトイレ」とつぶやいて、中座した。が呼んだウェイターとすれちがう。ドリンクを頼む声が聞こえた。

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