柳が送り込んだ援軍は、の胸のつかえを一気に取り去ってくれた。
 彼女は胸中で拍手喝采を送る。これ以上の人選はない。まさに最高だ。
「ちーっす、先輩!」
 自分が救世主であるとは知る由もなく、赤也は意気揚々とした態度で現れた。に向かって手を上げる。ベージュのロングカットソーの上から、赤のパーカーを羽織り、下には黒のスキニーを合わせている。
「おはよう、切原くん」
 も手を上げ、そのまま彼女のほうからハイタッチした。
 赤也は目を丸くする。
「テンション高いっすね。そんなキャラでしたっけ?」
 そう不思議がったあとで、眼光を瞬かせた。心当たりのある顔つきをする。
「ははーん、幸村部長の退院だからって、そんな喜んでるんすね? いいなぁ、部長。退院したら自宅でいちゃいちゃし放題か……。あー、俺も彼女欲しい!」
 雄叫びを上げる赤也の後頭部をはたいて、は先に病院へ入った。待合室を兼ねたロビーを通過し、エレベーターへ入る。上がり始める際の振動を感じながら、赤也にたずねる。
「蓮二からなんて言われたの?」
 鏡をのぞきこみ、癖毛をまとめようとしていた彼は、一向に思い通りにならないので諦めた。を振り返って、腕を組み、眉間に皺を寄せる。真田の真似に違いない。幼い顔つきの赤也には似合わない態度だった。
「それが妙なんすよね。俺が勝手についてきたことにしてくれって」
「ああ……そう」
 はあいまいな相槌を打った。
「それで? どうして切原くんはその話を受けてくれたの?」
 赤也はしれっと返す。
「決まってんじゃん。先輩とデートなんておいしい話、見逃すわけないっしょ」
 にげんこつを向けられ、あわてて撤回する。
「ウソウソ! ゲームソフトで買収されたんすよ!」
 はエレベーターの中で一歩詰め寄った。
 赤也の顔を覗き込む。彼はどぎまぎし、赤くなる。しかしすぐに彼女を見返し、期待で瞳を輝かせた。
 電子音が鳴り、エレベーターの上昇が止まった。彼女はドアを向く寸前に、赤也の鼻先を軽くつねった。
「いてっ」
「先輩にタメ口使うんじゃないの」
「なんすか、付き合ってあげてるのに、その態度」
 彼女はエレベーターホールに移り、赤也を振り返った。いたずらっぽく笑う。
「それについては大感謝。あとでケーキでもおごるよ」
 奮発したつもりが、あまり彼には響かなかったらしい。小首をかしげている。
「俺、どっちかっていうと、肉のほうが……」
「勘弁してよ。私を破産させる気?」
 はげんなりした口調で言った。盛り上がりながら幸村のもとへ向かう。
 すでに病室はあらかた片付けられており、幸村も私服に着替えていた。グレーのカーディガンのあいだから、開襟の白シャツがのぞく。パンツは黒の綿だった。すでにベッドを下り、車椅子に腰かけていた。
 はなるべく平静を装って、挨拶した。幸村も一瞬、赤也を見て戸惑った様子だったが、すぐに笑みを取り戻した。
「赤也も来てくれたのか」
「邪魔してすんません。でも、幸村部長の退院っすから、やっぱ来ないわけには!」
 赤也は与えられた役割を全うする。
 その背後に柳の思惑があるのを、幸村はむろん察知している。それでも、赤也のことは邪険に扱えない。かわいい弟分をすげなく追い返せるほど、冷徹にはなりきれない。柳の計算と知りながら、甘んじて受け入れる。
「構わないよ。父が仕事で来れなくてね。車椅子、押してくれるだろう?」
 幸村の父は大手広告代理店に勤務している。休日出勤はめずらしくなかった。
「もちろんっす!」
さん、来てくれたのね。こちらは、テニス部の方?」
 退院の手続きを終えた幸村の母が戻った。
「どうも。立海一年の切原赤也っす。お邪魔してます」
 赤也が母親に挨拶した。母親も「きてくれてありがとう」と返す。
「幸村くん、退院おめでとう」
 そこへ、看護師が小さな花束を持って現れた。幸村の食事の世話をしたときの看護師だ。
 彼女は腰を屈め、花束を差し出した。トルコ桔梗をメインに、オレンジバラを添えている。
「退院おめでとう。彼女と仲良くね」
 病状にはあえて触れない。花束は幸村に見せたあとで、母親に託した。
「ありがとうございます」
 幸村ははにかんだ。
「すみません、わざわざお花まで」
 母親も続けて礼を述べた。
 部屋を出る運びになり、看護師が車椅子を押そうとすると、横から赤也が割り込んだ。
「俺が押すっす!」
「はいはい、お願い」
 看護師も彼の好きにさせた。
 エレベーターで一階へ下り、エントランスへ着くと、母親は駐車場からまわしてきた。
 応援の看護師が駆けつけ、ふたりがかりで、幸村を後部座席へ運び入れた。
 彼が不本意そうに表情を暗くしたのを察して、はあえて目を逸らした。
 一方の赤也はまじまじと観察している。
「本当にお世話になりました」
 幸村は車窓から看護師たちに礼を述べた。続けて、退院を見届けに来たふたりにも挨拶する。
「ふたりとも、わざわざすまなかった」
「何言ってんすか、先輩。家まで行くっすよ」
「切原くん、そんなわけにはいかないでしょ」
 は戸惑いの声をあげた。しかし、赤也は当然だといいたげに目を丸くした。
「看護師さんは家まで来てくれないっすよ。だれが部長を部屋まで連れて行くんすか?」
 胸を張り、自分しかいないと意気込む。
 病室から付き添った看護師は、感心した様子で同意した。
「どうりで、幸村くんを車に乗せるとき、じろじろ見てくると思った。お宅にだれもいないなら、私もそれをおすすめします。お母さんおひとりでは難しいかと」
 は同行するか否か迷ったが、彼女だけ去るのは不自然だ。なりゆきに委ねるしかない。赤也がついていくのは確定的だった。
 幸村宅には、おそらく妹しかいないはずだ。男手が必要とされる事態だった。母親が恐縮し、断ろうとしたが、赤也は笑い飛ばした。
「後輩なんすから、これくらい当然っすよ!」
「私も、できることがあるかわかりませんが、お手伝いさせてください」
 も慎ましやかにほほ笑んだ。
「ふたりともありがとう。それじゃ、お言葉に甘えようかしら」
 母親はふたりに礼を言い、が助手席へ入った。
 赤也は幸村の介助のため、後部座席へ乗り込む。
 看護師に見送られながら、車は発進した。

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