ヴァイオレット奇譚◆番外編

◆淡き恋に捧ぐレクイエム 5




 昔からそうだった。
 チーノという男は気が弱いくせに出しゃばりで、おまけに口を開けば保守的なアドバイスばかり。 いい加減うんざりしていたが、今日という今日は許さない。 はらわたが煮えくり返る思いを抱えて愛車をかっ飛ばすサーラは、 チーノの匂いが”あの一家”の住み処に続いていることを確信して、ことさらアクセルを深く踏み込んだ。

────あいつ、ついに私を裏切りやがって……っ!!

 第三世代とやり合うことに誰より及び腰だったのが他でもないチーノだ。大抵はみな臆病風に吹かれていたが、 チーノは「洗礼を浴びせてやる」と息巻いていたサーラに食って掛かってすら来た。

────まさかこっそり命乞いに行ったか? それとも第三世代の肉を目当てに……

 想像は膨らむ。第三世代の存在は彼ら第四世代にとって神にも等しい存在だ。 先代へと敬意と畏怖ならば人並み程度にサーラにもある。しかしそれ以上に、領域を侵されているという怒りが上回り、 今回仲間の一人が抜け駆けをし、ファミリーの恥をさらしたことによって負の感情は決定的になった。

『どいつもこいつも礼儀を知らないってんなら教えてやる。誰がここのボスなのかを……』
 ブツブツと言いながら見えてきた石造りの巨大な屋敷を睨み付け、その庭先に派手に車を止める。 このブレーキ音だけで、十分な威嚇になり得るだろう。
 頭の天辺で縛ったきついポニーテールを手で払うと、トランクに乗せた散弾銃を背負い、 懐には拳銃とありったけの弾を込める。内ポケットの多いダウンジャケットに物騒な武器の一通りを詰め、 分厚いブーツの踵で大股に歩き出した彼女は、まっすぐに正面玄関の扉を目指し、 一寸の躊躇いもなくドアの取っ手下部めがけて銃の照準を合わせる。

 静寂に包まれていたはずの閑静な場所で、劈くような鋭い轟音が響いた。

『出てこいッ! チーノッ!!』

 派手に壊した扉を蹴り倒して、あがる砂煙の中玄関ホールに立ったサーラが叫ぶ。 しかし返事はない。もぬけの空のような気がするのは、きっとこの屋敷が広すぎるせいだろう。
 慎重に辺りを警戒するサーラの耳が、パタパタとした羽音のようなものを捕らえる。反射的に振り返って銃を構えれば、 動物を象った可愛らしい子供用のスリッパがまず目に入り、 ゆっくりと視線を上げれば、きょとんと目を見開いている幼い少女の姿が映った。ただし、瞳は奇妙な光彩を放つ毒々しい赤だ。

「だーれ?」
『お前は、この屋敷の住人か?』

 赤い瞳の少女が、小首を傾げる。彼女が一歩動く度に、足元からは軽快な羽音のようなものが鳴る。 あのスリッパだろうか。ちらりと気を取られた瞬間、背後に気配を感じ機敏に振り返る。

『……誰だ』
 誰もいないはずなのに、少なくともこの目で見えている限りではそのはずなのに、サーラは無意識にそう呟いていた。 隠しきれない殺意を感じる。あの少女ではなく、たった今、こちらの隙を突こうとした……見えない誰か。

『そこだっ!!』
 思い切って叫ぶと同時に駆け出し、宙に向かってタックルする。そうした本人でさえ驚いたほどの、 確かな感触。サーラの強靱な肩に突き飛ばされ、敵は背後の柱に吹き飛んだ。
『いるんだな、そこにっ! 私には見えてるぞ。第三世代か? 姿を消すなんて随分とみみっちい真似してくれんじゃない』

「……っいたぁい」
 怒鳴り散らしているサーラから逃げるようにして、 吹き飛ばされたハンリエットがすごすごとシリルの背中に回る。
「何なのよあの野獣女……見てよこれ、痣になっちゃうじゃない、もう」
 ひそひそと泣き言を言うハンリエットに答えて良いものかどうかシリルが視線を泳がせていると、 そつなくそれを見破ったサーラが振り返る。さすがにぎょっとしてハンリエットは身をすくめた。
「……私のことは見えてないはずよね?」
「うーん」
 困ったようにシリルが首を傾げる。

『分かるぞ。もうお前の匂いは覚えたからな。やけに女々しい香水を付けているな』
 にたりとほくそ笑んでサーラがハンリエットに銃口を向ける。
「やだもう、野生児すぎてお手上げ。ちょっとシリル助けなさいよ」
「えー、どうやって?」
「どうやってってそりゃ……どうにかしてよ!」

 たまらずハンリエットが叫ぶのと同時に、背後からずっと彼女の動向を見守っていたルイスが銃で女の両足を打ち抜く。

「ルイスッ!」
 歓喜の声を上げてハンリエットがルイスに駆け寄った。
 しかしルイスは淡々としゃがみ込み、サーラの体めがけて高圧の電流を流し込む。 二、三度悲鳴を上げて女が完全に意識を失うと、今度はその腕を取って大量の麻酔薬を投与し始めた。
「……まるで猛獣ね」
 それを眺めていたハンリエットが眉間に皺を寄せて呟く。
「噂通りの手練れですね。実践での勘も冴えてる。姿の見えないハンリエットの殺気を感知するとは」
「……見てたなら助けてよ」
「彼女が枝に対してどう出るかが知りたかった。 情報収集の時点ではそれを確かめるほどのリスクは冒せなかったのですが、でもこれではっきりした。 少なくとも、姿を消した枝を視覚で察知することは出来ない。枝についての知識もないのでしょうね、おそらく」
 枝を作り出せない第四世代がその存在を知らないことは十分考えられる。 たとえ知っていたとしてもクレアより遥かに能力の劣る彼らだ。第三世代の惑わしに打ち勝つことは至難の業だろう。
 満足したように頷いてルイスは立ち上がり、サーラの体を外に運び始める。

「でもすごい野生児よ。見えなくたって何の支障もないって感じ」

 呆れたように言って、ハンリエットは搬送されていくサーラを忌々しげに睨み付けた。



******



 煌々と電気の灯されたガレージの中、 未だかつて無い緊張感に晒されながら必死で平静を保とうと唇を噛みしめていたチーノだが、 ルイスに担がれたサーラの姿を見るなり彼は一転動揺を露わにした。

『サーラッ!!』
『お静かに』
 声のあらん限りに叫んだチーノを、冷たい視線でたしなめながらルイスが言う。
「麻酔で眠らせています。じき目を覚ますでしょう」
 主人に向かって英語で早口に説明したルイスの言葉を辛うじて聞き取ったチーノは、募る不安と爆発しそうな怒りをすんでのところで押しとどめ、 強く唇を噛む。今ここで自分がぶち切れてしまったら、全てが台無しだ。それでも、ぐったりと冷たい地面に横たわるサーラの姿を見ていると、 涙が出そうなほどにくやしい思いがこみ上げる。
『……サーラ、大丈夫だ、……私がついてる』
 せめて夢の中の彼女を安心させてやりたくてそう囁く。

「クレア。ここは私に任せて頂けませんか」
 そんな彼を横目で警戒しながら、ルイスはクレアの側に立ち、そう耳打ちする。 ガレージの壁にもたれ掛かって事の成り行きを見守っていたクレアは、片方の眉を上げてルイスに視線を向けた。
「目を覚ませば、この女はしばらく興奮状態に陥ります。今晩はそれを諫めるだけに終始するでしょう」
「だから何」
「私だけで十分です。あなたは休んで下さい」
 冷静な声音であるが、彼の絶対の意志を感じる。
 アリオスティのボスであるサーラに、クレアが恩情でもかけてしまうことを危惧しているのだろう。 相手がそうさせやすい女性であるということも、懸念すべき点だ。
 クレアは苦笑して、その場のチーノとサーラを交互に見やった後、頷いた。
「分かったよ。瑛士、行くぞ」
 拘束されたチーノの横で高いびきをかいていた瑛士は、クレアに呼ばれ慌てて起き上がり、寝ぼけ眼をこすりながら ガレージを後にするクレアの背中を追う。
「あーよく寝た。もういいのか?」
「ああ」
「どうでもいいけどよ、アリオスティをここに置いておくのはまずいんじゃねぇか」
「どうして」
「だって、下の奴らが黙っちゃ居ないだろ。女とは言え、一応あれがボスなんだから」
 ぐったりと横たわっていたサーラの姿を思い出しながら言う。
 ルイスの得た情報では現地のマフィアまがいのゴロツキらとも深い関係にもあるらしいが、 女だてらに恐ろしいものだと身震いする。そんな瑛士の様子を見て、クレアは肩をすくめた。
「食った肉の量で全てが決まるんだ。彼女がボスを務めるのは、彼女が一番強いからだ。性別なんて二の次だろ」
「……それにしたって、女はもっとしとやかな方が良いだろ」
「お前の見解なんてどうでもいいよ」

 あっさりと切り捨てると、後ろで舌を出している瑛士も無視してクレアは万莉亜の眠る部屋へと戻る。
 奥のベッドでは静かに寝息を立てている万莉亜が、闇の中、一筋の月明かりに照らされ淡い光りに包まれながら眠っていた。 フラフラと吸い寄せられるように近寄ると、その生命力に満ちあふれた瑞々しい肌をそっと指先で撫でる。 わずかに身じろぎする万莉亜が、何か聞き取れない寝言を呟けば、その口の隙間から可愛らしい糸切り歯が覗いて、 クレアは一人それをじっと見つめた。

 彼女の中に不変であり続ける箇所を探して安心するのは悪い癖だと分かっている。
 体中を拘束するように強く抱きしめていても、万莉亜は日々美しく、しなやかに変化していってしまう。 出会った頃よりも柔らかくなった体躯や、ほっそりとしたウエストに知らない感触を覚えて焦燥に駆られる。 仕方のないことだし、まさかこんなことに悩まされる日が来るなんて、クレア自身も予想しなかったことだ。 なんて子供じみた執着だろうと思っても、どうすることも出来ない。
 置いていかないでと、いかないでと泣いてばかりだったかつての妻を、理解出来なかった。 こんなに側にいて、永遠に一緒だと何度も誓いを立てた。何を悲しむ必要があるのか、あの日のクレアは、 アンジェリアを理解することが出来なかった。
 でも今、すやすやと幸せそうな寝息を立てる万莉亜の、規則正しく繰り返される愛しい鼓動を聞いて、 胸が張り裂けそうなほどの寂しさに襲われている。



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