ドアをノックする音で、中森は目を開けた。
娘の手術が終わり、本人の目が覚めるまで起きていようと、ベッド脇の椅子へ腰掛けたのは良いが、
体調が優れないのも影響したのか、しばらく寝ていたようである。
中森が「どうぞ」と答えると、室内へ快斗と寺井が入ってきた。
「途中で外してしまってすみません」
「構わんよ。元々、快斗君に無理言って様子を見に行ってもらったんだしね」
「無理だなんてとんでもないですよ」
中森の言葉に、快斗は驚いて慌てて否定する。
「……あの、それでどんな状態ですか? 青子の奴」
「見ての通りだよ。まあ、命に別状はない、と医者が話していたからね。
ただ、『しばらくは絶対安静』と言ったところを見ると、安心は出来んよ」
そう言うと中森はゆっくり青子へ目を向けた。快斗もそれにつられるように、
チラリとベッドに横になっている青子を見るが、ただ眠っているだけだ。
その後で、中森の方へ視線を移動させた快斗は驚いたように小さく目を見開いた。
「――中森警部」
「ん? 何だね?」
快斗の言葉に、中森は快斗の方へ向き直った。――その顔は生気が失われつつある。
「警部の具合は大丈夫ですか? 顔色があまり良くないみたいですけど……」
「まあね……」
快斗に言われ、中森は初めてため息をついた。よく見れば、顔に汗もにじみ出ている。
憔悴しきったように見えるその横顔は、予想外の娘の怪我だけが理由な筈はない。
「誰かに頼んで部屋が空いていれば、そこで一旦休まれたらいかがです?
そんな状態じゃ、青子が気付く前に警部が倒れてしまいますよ」
中森の体調を気遣って言う快斗だが、中森はゆっくりと首を振り、快斗へ微笑んだ。
「ありがとう、快斗君。でもそれは出来んよ。青子を轢き逃げした犯人は捕まっていない。
もしかしたら今のこの時を狙っているかもしれんからね」
「でも、そんな状態じゃ、たとえ犯人がやって来ても動けませんよ。
犯人がまた襲って来た場合に備えて、警部はゆっくり休んでいて下さい。
付き添いなら僕がしておきますし、青子が気付いたら声をかけますから」
おどけた口調で快斗が言うと、中森は不思議そうに快斗を見てから穏やかに笑う。
「一本取られたね」
最終的には中森が折れるかたちで、中森はしばらく仮眠を取ることにした。
しかし病室は出られないと言い張った。結局は医者と看護士に了解をもらって、
ソファを借り、そこで休むことになった。その際、ついでだからと、
内科の当直の医師に風邪の具合を見てもらい、薬を処方された。
「本当に色々すまないね、快斗君」
中森はソファへ横になりながら快斗へ話しかける。
「いえ。ただのおせっかい好きだと思って下さい。それにいつもお世話になってますから」
にっこり笑う快斗とは裏腹に、中森は表情を曇らした。
「……でも、あまりワシの傍にはいない方が良いかもしれないね」
「え?」
中森の言葉に驚いて、思わず訊き返した快斗に、中森は黙って目を瞑った。
「――青子もだな」
快斗に言うでもなく、ただ呟くように言ってから、中森は目を開けて快斗を見る。
「すまないが、しばらくの間、青子についていてやってくれるかね?」
「ええ。それはそのつもりですけど……。でも警部、どうして――」
言葉を続けようとして、快斗は言い留まった。
訊かれると予期した言葉をかわすためか、それとも具合の悪さに耐えられなくなったのか。
それは定かではないが、快斗が次に中森へ目をやった時、既に中森は眠りについていた。
その様子に快斗はしかめ面のままため息をつく。
(……ったく。変にこっちに気を遣いやがって。
他に気になることがあるんなら、包み隠さず言えっつーの!)
ふと感じた肌寒さに快斗は目を開く。その場で背伸びをして、腕時計へ目を落とすと朝の五時半。
座っていた椅子から腰を上げ、室内のカーテンを少し捲って外を眺める。
もうまもなく暦の上では冬になる。まだ夜が明けきっていないせいか、外は薄暗い。
(憑いたか? ……いや、もしそうならむしろ『憑かされた』だな)
窓に映る自分の顔と対面しながら、快斗はため息混じりに顔をしかめる。
今まで、人の命が絡むような事件に遭遇したことはあまりない。
あったとしても、その元凶となっているであろう人物は他にいる状況だった。
何度かその人物に借り出されたお陰で、不運がうつったのかもしれないと心で毒づく。
カーテンから手を離すと、快斗は病室内を振り返った。
今、室内にいるのは快斗の他には、青子と中森だけ。
快斗が病室へ戻ってきてしばらくしてから、母親と寺井は一旦帰宅することにしたのだ。
恐らく麻酔はもう切れているだろうが、青子は依然として眠ったままである。
そしてその父親である中森も同様に、ソファで眠っている。
未だ熱で顔が赤い中森の額には、医者から貰った冷却シートが貼られていた。
快斗は不意に思い立って、冷却シートに手を当てたが、もう既に生温かい。
「無茶すっからだろーが」
呆れて呟くと、冷却シートを剥がしてゴミ箱へ捨てる。
それから、室内に置かれている小さな冷蔵庫の扉を開け、新しい冷却シートを取り出した。
(まあ、親が無鉄砲なら、娘も大した無鉄砲だけどな)
扉を閉めながら、快斗は寝ている青子へ目を向けた。
その寝顔は、ただいつも通り寝ているようにさえ見えるほど穏やかなものである。
(これで終わりだと良いんだけどな……)
心でそう言うも、恐らくこれでは終わらないだろうと頭は理解している。
複雑な思いでため息をつきながら、快斗は中森の額へ冷却シートを貼り付けた。
冷蔵庫で冷やされたそれは相当冷たかったのだろう。高熱の人間にしてみれば余計である。
「あ……すみません、起こしました?」
冷却シートを貼り付けた途端に目を覚ました中森に、快斗は慌てて言った。
それに中森は片手を振ると、ゆっくり腰を上げた。
「いや、大丈夫だよ。それよりも、快斗君はずっと起きていたのかね?」
「いえ。少しだけ寝ましたよ。さっき起きたところです」
「そうかね。……頼んでおいてなんだが、あまり無理はせんようにな」
優しくそう言うと、中森は青子の方へ目を向けた。
「青子はまだあんな感じかね?」
「ええ。少なくとも僕が起きている時は、ずっと寝たままです。
麻酔が切れて、多分そのまま眠ってるんじゃないでしょうか」
病室の掛け時計が午前七時を差した頃、看護士が室内へ入ってきた。
「いかがですか?」
その問いかけに快斗は黙って首を振る。
「そうですか……」
残念そうに言うと、看護士はそのまま青子へ近付くと点滴を新しいものへと替える。
「――あら。気がつきました?」
その言葉に、快斗と中森の二人は青子の寝ているベッドへ目をやった。
見れば確かに薄っすら目を開けている。点滴を替えられた際に目を覚ましたのだろう。
「ちょっと先生呼んで来ますね」
快斗達の方を振り向いてそう言うと、看護士は軽く会釈してから部屋を出て行く。
その後で、二人は慌てて寝ている青子の元へ駆け寄った。
「青子!!」
目に涙をためて叫ぶ父親に、青子は一瞬微笑んだがすぐに顔を膨らませた。
「寝てなきゃダメでしょー……お父さん、風邪で倒れたのにぃ……」
「バカ言え! ワシの風邪よりお前の怪我の方がよっぽど大事だろうが!」
「もー……」
照れくささと不満が入り混じっているような表情で笑ってから、
青子は快斗に焦点を合わせると、無理に笑顔を作って見せた。
「快斗、来てたんだ。……ありがとう」
「……傷口痛むんなら、無理すんなよ。大丈夫か?」
「うん。まだ色々痛むけど、でも平気。……ゴメンね、心配かけて」
弱弱しく言われ、快斗はすねたようにそっぽを向いた。
「警部だって心配してんだから、あんま無茶するんじゃねーよ」
しばらくして、病室に医者が到着し、青子の術後の経過を確かめる。
医者の言葉は「命に別状はないがしばらくは絶対安静に」と、昨晩と変わらない。
普通に話すのは構わないが、長時間に渡る会話は控えた方が良いとの見立てだった。
医者と看護士が病室を出て行くと、早速中森は青子へ本題を切り出す。
「青子。疲れたら休んでくれて構わないが、お前を襲った人間について教えてくれんか?」
「…………分かんない」
父親の問に、青子は力なく頭を振る。その後で、困った様子で首を傾げた。
「青子、襲われたの?」
父親の言葉が意外だったらしい。青子は不思議そうな様子で父親を見る。
しかし、快斗と中森は逆に青子の言葉に目を丸くした。
「おい、青子。襲われたんじゃなきゃ、何で轢き逃げになんて遭ってんだよ?」
「だって買い忘れないかな、って考えことしながら歩いてたから、
後ろから来た車に気付かなかっただけかもしれないじゃない」
そんなに簡単に人を疑っちゃダメ! と、青子は不満そうに二人を睨み返した。
あまりにも無垢な青子の発言に、快斗達は反論することすら忘れてため息をつく。
「あのなぁ、青子。轢き逃げしたのが偶然で、良心的なドライバーなら、
すぐ警察と救急車呼んでるだろうが。お前が倒れてるのを見つけたのは俺なんだぞ?」
「なら、きっと気付かなかったんだよ」
「お前な……」
気持ちが良いほど、あっけらかんと言う青子に、快斗は言いかけて言葉をなくす。
――午前十時。朝食も食べ終わり、休憩も程ほどに、コナンは新聞へ目を通す。
小五郎は「一服だ、一服!」と、コナンの向かいで大きな鼾をかいている。
蘭は朝食の片付けが一段落すると、園子と会うからと言って出かけて行った。
昨晩、本人から聞こうと思った事件の詳細は、結局うやむやの状態で終わっている。
あの時にかかって来た電話の応対で、キッド自身が急いでいるというのは理解出来た。
だからこそ後で良いと書いたメモを渡したわけだが、詳細が気にならないわけではない。
あわよくばその詳細が新聞に載ってはいないかと、記事を探すが見当たらない。
快斗の話によれば、中森自身が『仲間の手は借りない』と発言している。
快斗が見に行くまで、誰にも発見されていないのであれば、目撃者もなかったに違いない。
現場検証に立ち会った警察も、ただの事故として処理をしてるとすれば、
新聞の記事に載っていなくても不思議ではない。
「……まあ、中森警部に届いたっていう脅迫状に関しては尚更か」
満足した結果が得られないまま、コナンは新聞を畳んだ。
事務所に電話がかかってきたのはその直後である。
コール音にすら微動だにしない小五郎に、コナンは肩をすくめながら受話器を取った。
「――はい、毛利探偵事務所です」
『お。ラッキー、名探偵か。昨晩はどうも』
「ああ、オメーか」
最初の応対とは打って変わって、急に声のトーンに覇気がなくなる。
「何だよ? ラッキーって」
『相変わらず愛想がねーなぁ。
――ホラ、他の人間出たら何て名乗ろうかって思ってたからさ』
ケラケラと笑う快斗の様子に、コナンは呆れてため息をつく。
「その様子じゃ意識戻ったみたいだな」
『まあな。お陰様で。ただしばらく安静は必要みてーだけど。本人は相当呑気だぜ?』
「あ、そう。それで? 用件は?」
『へ? いや、今回の件の詳細話してやろうと思ってな。いつなら都合良い?』
「平日でなけりゃ空いてるよ」
気がなさそうに返事を返すと、コナンは時計に目を落とす。
「でも良いのかよ? 中森警部だって風邪引いてるんだろ?
いくら手術が無事に終わって意識戻ったからっつったって、ついてあげなくて」
『……まあ、その辺は警部に頼まれたりもしてっけど。母親と知り合いに頼んでるし』
そう言いながら、快斗は青子の病室がある廊下に視線を動かした。
時折、知った顔と目が合って慌てて会釈するが、常に病室の方を険しい顔で見つめる。
「実はな、ちょっと色々、警部の発言が気になんだよ。
それでなるべく早く犯人見つけ出した方が良いんじゃねーかなって思ってさ」
『ふーん。まあ良いけど』
「それで、都合どうだ?」
『言っただろ? 平日でなきゃ空いてるって。場所さえ指定してくれりゃ行ってやるよ。
ただ悪いけど、その時に出来たらコピーでも良いから頼みたいものがあるんだけどな』
基本的には原案通り。
コナンが一番好きだと豪語している割には、相当珍しくコナン登場率が少なめ。
最初、この章はコナンなしで進める予定でした。でもページの都合上コナン追加。
そんな感じで、快斗主人公な小説ですが、今回は中森親子と快斗メイン。
ここまで、快斗と中森警部の話を書いたことないので、少々照れくさいです。
快斗は中森警部は父親みたいなもので、中森警部も快斗は息子みたいなものだろうな、
という個人的な思い込みがあります。快斗の場合、早くに父親亡くしてますからね。
青子は、ちょっぴり天然っぽさと無邪気さが引き出せていれば嬉しいです。