「……あれ?」
悲鳴でも上がるかと思ったが、辺りは至って静かだ。
意外な反応に快斗が首をひねったのと同じくして、傍で小さな音が響いた。
(ん?)
ヒョイと、音のした方へ目を向けると、壁にもたれかけさせておいたスケボーが倒れた反動で動いている。
今の物音はそれかと理解してから、視線を横にずらして、快斗は顔を引き攣らせた。
倒れたスケボーの横で、右足首を抑えながらコナンがうずくまっている。
「あー……っと……」
「テメー……」
悲鳴を上げなかったのは、それ以上に痛みが激しく、声すら出なかったのだろう。
マズイと感じて声をかけかけたが、それより早くコナンに睨まれる。――その瞳には憎しみしかこもっていない。
「いきなり何しやがる……」
「何って……だから事前に謝っただろ? 『悪い』って」
「ふざけんな! 言った直後に蹴っといて何が『謝った』だよ!」
不満そうに言うコナンに、快斗はわざとらしくコナンから目線を逸らした。
「ホォ? おかしいな、探偵君。
俺が足怪我してないかって訊いた時は憶測だとか言ってたくせに、その位蹴られただけで怒るのか。
怪我してねーなら普通そこまで怒らねーよな?」
その言葉にコナンは目を見開くと、抗議の声をやめて快斗から目を逸らす。
「反論なし、ね」
コナンの反応にそう呟くと、快斗は息をつきコナンの着ている服の襟元を引っ掴んだ。
当然、コナンは宙に浮く状態だ。派手に、もがいたところで、どうしようもない。
「――おい! ふざけんな! 下ろせ!」
「暴れんなって。足に響くぜ?」
「うるせえっ!」
「騒いでうるさいのはどっちだよ? 病院だぜ? 迷惑考えろよ?」
呆れ半分、からかい半分に言うと、快斗はそのまま病院の中へコナンを連れて入り、
少し歩いた先に用意されてある館内の案内板を眺めた。
「……整形外科だろ? この場合。えーっと階数は――」
「連れてったところで入らねーぞ、俺は」
コナンは宙吊りのまま、不満そうに案内版を睨んでいる。
それを横目に、快斗は首を傾げてから天井を仰ぐも、その内にコナンに視線を戻すとニヤリと笑った。
「何? 医者が怖いの?」
思わぬ言葉に、コナンは眉を上げると、快斗の方を振り返る。
「バーロ! 誰がんなこと言ったんだよ!」
「じゃあその証拠に素直に入れよ? 駄々こねたら怖いってことで♪」
「…………っこの悪党!」
「えー。それ、お前にとっちゃ今更だろ? おこちゃま探偵君?」
「全治二週間だってな」
「そうらしいな」
診察が終わった後、二人は公園へと足を運んだ。
――今まで病院にいた人間が消えた件について話すためだ。
「全治二週間のくせに『怪我してない』って?」
「人の感覚にケチつける気かよ」
「それ屁理屈」
ベンチに腰掛けて、不満そうに前を見たままのコナンに、快斗は呆れて言うとため息をついた。
診察が終わってからというもの、コナンは一切視線を合わさない。医者から『全治二週間』と言われずとも、
腫れ上がった右足と、赤紫色に変色したそれを見れば怪我の程度は見当がつく。
また、怪我の原因を作った人物がそれを見てどう思うかは予測可能だろう。
「ご心配なく。そっちが嫌なら謝りも礼も言わねーって」
「……何も言ってねーよ」
「――それで? さっき俺に電話かけてきた原因と、届いた脅迫状ってのは?」
「ああ……それ、ちょっと事情が変わってな。今から説明するけど、とりあえず――はい、これ」
そう言うと、快斗はコナンへ二枚の封書を渡した。
「二枚?」
受け取った封書をしかめ面で眺めると、そのままそれを裏返す。
一枚は封が切られているが、もう一枚は封が切られた形跡がない。
「開いてる封書見て、警部たちが誘拐されたらしいことを病院関係者に伝えたんだよ。
で、それをオメーに知らせようと思って、病院出たところでそっちが連絡してきたわけ。
電話終わって病院戻った時に、看護師から渡されたのがその開けてない封筒」
「看護師? 何で看護師が犯人からの手紙なんて持ってんだよ?」
「……それがさ、病院出てた時に俺を訪ねて来たっていう、
多分犯人グループの人間が、看護師に渡してったみたいなんですよね」
そう言って、快斗は聞いたばかりの看護師の話をコナンへ伝えた。
「――なるほど。それでその看護師、犯人については何か言ってなかったのか?」
「さあな。あんまり見てないって口ぶりだったし。
覚えてるのは、『黒のサングラスかけたガタイの良い男』ってくらいかな」
「……お前に心当たりは?」
「は?」
出し抜けに訊かれて、快斗は目を丸くする。
「何で……俺? 姿見てねーんだぜ?」
「中森警部に恨み持ってる奴の犯行なら、家付近をうろついててもおかしくないだろ?
家の近所で見かけなかったか、ってことだよ」
「近所っつってもなぁ……」
難しそうに顔をしかめると、快斗はゆっくり首を傾げた。
「そりゃガキの頃から知ってるとは言え、特別警部の家と近いってわけでもねーし……。
少なくとも俺は見ちゃいねーな」
「なら、中森警部本人とかその娘から、最近不審人物がいる、とかは?」
「ねーよ。警部が認識してないなら話は別だけど」
「……随分言い切るじゃねーか」
怪訝そうに訊くコナンに、快斗は得意げに笑ってみせる。
「前にも言ったけど、警部の娘と知り合いな上、クラスメートなんだぜ?
娘の性格くらいよく分かってんの。いくら警部がその娘に口止めしてたって、
それが警部にとって危険なことなら、心配だーっつって、大体俺に相談しにくるからな。
それに、万一話さなかったとしても、表情に出やすい奴だから、隠し事ありゃすぐ分かるさ」
「……なら中森警部が娘に話さなかった場合はどうなんだよ」
「その場合は娘が気付く。あいつ、そういう意味じゃ敏感だから」
快斗の断定的な言い方に、コナンは再度事実を確認することもなく黙り込んだ。
実際のところ、本人達に訊いてみないと分からないが、少なくとも嘘ではないはずである。
「それで、他には何かあったのか?」
「そうだな。俺が分かる範囲では……犯人は最低三人以上で、
どういうわけかオメーまで標的に入ってるってことくらい?」
「確かに、さっきのビリヤード場での件と脅迫状の話から考えると単独犯とは思えねーな。
ただ、犯人側が俺を標的に入れる理由は、人質ってのが有力だと思うぜ?」
「人質ぃ?」
コナンの言葉に、快斗は眉を寄せると胡散臭そうに声を上げる。
――既に複数人誘拐されているのだ。人質としての用は足りるだろう。
「待てよ。それって要するに俺に『捜査するな』って脅すために、
お前誘拐して人質にするってことだろ? 警部達捕まってんだぜ?
何も今更人質増やさなくても良いだろ。四人もいるんだぞ?」
「中森警部達が誘拐されたのは、本人に届いたって言う脅迫状が示すもの。
オメーが捜査始めたことが原因で、人質になったり殺された奴は出てねーよ」
「え……?」
コナンの言い回しに、快斗はコナンを見たまま動作を止めた。
「おい……まさかそれ――」
「ああ。最初から殺すつもりだったって可能性は高いと思うぜ。特に中森警部はな」
コナンの言葉に目を見開くと、快斗は何かを言いかけて言葉を飲み込んだ。
その後でコナンから視線を外して、しばらく何かを考える。
コナンはその様子を横目で見るも特に何も言おうとしなかった。
だがその直後、快斗がベンチから腰を上げるのを見た途端、コナンは呆れたように息をつく。
「――待て、キッド」
そのまま走って行きかねない快斗に、コナンは背後から落ち着いた様子でそれを諌める。
「だからここに来る前の電話でも言ったんだよ。『突っ走るな』ってな。
行くなとまで言う気はねーけど、もうちょっと現状把握してから動いた方が良い」
「俺、それに了承した覚えないんですけど」
「……は?」
睨み目がちに言った快斗の言葉に、コナンは目を瞬かせる。
しかしそれには構わずに快斗は誇らしげにコナンを見下ろした。
「『来るのは待てるけど、行くのは待てない』って事前に言ったはずだと思うけど?
知り合い殺されそうになってんのに、『待て』が利くかっつーの」
「……テメーだって充分血の気が多いじゃねーか」
半ば呟くように言うと、コナンは諦めた様子でため息をついて肩をすくめる。
「ある程度危険なのは分かってんだろ? 言っとくけど、俺はすぐには動けねーぞ」
「当然。――つーか、その怪我の状態でついて来させるつもりはこっちにもねーよ」
「ホントに大丈夫かよ? 犯人複数犯だぞ?」
「ホォー? まさか俺が殺されるとでも?」
「場合によってはそうかもしれないって言ってんだよ。
犯人複数な上に、人質も四人だろ? 庇いながら逃げんのが簡単なわけがない」
苦い顔で首を傾げて、コナンは自分の額に左手を当てた。
犯人が誰であるかも分かっていなければ、全員で何人いるのかすらも確実に分かっていない。
何らかの見当がついているのであればまだやりようはあるが、見当がほぼついていない状態で、
人質となっている中森達を救出に向かうのはやはり危険が大きい。
ましてや、犯人側の動き、人質の監禁場所すら分かっていない現状では、
監禁場所に辿り着く前に殺される可能性も高いだろう。味方が一切いない状態で助けに向かうのは無謀極まりない。
しかし自分自身が捜索に加われないのは事実である。
(……コイツ相手に使いたかねーけど、しゃーねーか)
コナンはどこか不服そうに快斗を見てから、深く息をついた。
「――おい、キッド。テメーの携帯よこせ」
「……携帯? え……何で? つーか、手元にねーとさすがに今は――」
「バーロ。誰も『くれ』なんて言ってねーよ。貸せっつってんだろ」
「『よこせ』っつったくせに……」
急に不機嫌に言い出したコナンに首を傾げながらも、快斗はしぶしぶ携帯を取り出してコナンへ渡す。
「ホラ。……貸せっつっても何する気だよ?」
「別に。ただの予防策」
「予防策?」
怪訝そうに眉を寄せる快斗には目もくれず、コナンは受け取った携帯を黙って裏返す。
何をするのかと、コナンの行動を眺めていると、
悪ぶる様子もなくポケットから取り出した円形のシールを適当に貼り付けた。
「――な! お前! 何すんだよ!?」
予想外の行動に、快斗はコナンの手から自分の携帯を取り上げる。
その反応に、快斗を一瞥するコナンだが無言のまま、かけていたメガネを外した。
「遊んでんじゃねーよ。予防策っつったろ? ――後これ」
言うと同時にコナンは快斗へ、小さな四角い物体を放り投げる。
「……何、これ?」
「そっちの現状把握用。事件解決したら両方共捨てて良いぞ。
ただし、それまでは身近に置いときな」
「……持ってて特あんの?」
「必要にならねー方が安全だな。――良いか? 現時点で考えられる犯人は二人。
病院に出入りしていたという人物と、監禁場所の見張り。
さっき俺たちを追いかけた来た犯人は今は警察にいるから、そいつは除外して良いだろ。
ただ監禁されてるのが四人なら、見張りに二人以上いる可能性が高い。
となると最低三人を相手に、人質四人を庇う必要があるってのは忘れんなよ?」
コナンの言葉に快斗は口元を緩めると、受け取ったばかりの物体を太陽の方へ掲げた。
「危険だって言いたいんだろ? ご心配なく。それくらい百も承知――なぁ、名探偵」
「……何だよ?」
「これって何かの機械?」
太陽に掲げたそれを細めで眺めながら言う。その質問に、コナンは露骨に快斗から顔を背けた。
「知りたきゃ事件解決した後に教えてやるよ」
セリフも描写も、結託の中だけで言えば、一番修正度合が多い章。
とは言え、他の小説に比べると、むしろかなり少ない部類に入る修正度。
原案時点で、かなりの修正を加えた章らしい。特に後半はプロトタイプの面影がないとか。
プロトタイプという意味合いでは、複数の展開の中から一つに絞るという作業がかなり多い作品ですね。
後、コナンの怪我の話。
今回の編集をするにあたって、歩けない程の捻挫はどれ位で治るものなのかを調べたところ、
一ヶ月以上という検索結果が多く、さすがに原案の一週間じゃ妙。とは言え、全治一ヶ月以上レベルなら、
悠長に捜査なんてしてる場合じゃない上、スケボーすら動かせないだろ、ということで、
二週間にしてみた、という、大して変わってるのか変わってないのか、そんな微妙な変更点。